What's New | Michiko Yoshino | ジャズボーカリスト 吉野美知子

What's New

2001年7月アーカイブ

スカンジナビア航空には気をつけて!

ヒヤー!ついでに、成功しなかった例です。
一月にレコーディングでスウェーデンに行った。まだ一度も行った事のない一月の北欧。防寒の衣類やお土産類が行きの成田で重量チェックでは、ちょっとオーバーだったが、オーケーをもらった。帰路、スウェーデンを出る時は問題なかった。そしてデンマークのコペンハーゲンで二泊した。土日だった。コペンハーゲンのお店は、土曜日は4時で店じまい。日曜日はほとんど閉店。新聞で唯一フリーマーケットを見つけた。バスを乗り継いで行くと、見本市のような大きいな会場。血が騒ぐ。スカンジナビアはガラス製品が多いらしくアンティークのガラスに惹かれた。高ければ意味がない。魅力的なものを安価で見つけるのがフリーマーケットのだいご味だ。私は、ガラス類の掘り出し物をみつけ、市を楽しんだ。ちゃんとラッピングなどしてくれないから、あり合わせの箱に入れてもらい、ビニールの袋で取っ手をつけた。飛行機には、手荷物で持って帰ることにする。帰りにマーケット会場の入り口のところで包丁セットが売られていた。アタッシュケースに入ったゾリンゲン風の新品フルセットの包丁類。スウェーデンでのレコー
ディングスタジオのオーナー、ステファンの広いキッチンには素晴らしい包丁セットが揃っていて、その包丁で私とステファンと交代で料理を作り合った。そのインパクトが強かったのかも知れない。包丁セットは、私に向かって"貴方のところに行くためにここで待っていました"と、訴えているようだったので、それに3,000円位と安かったのでで買った。包丁類は、凶器になるので手荷物で機内には持ち込めない。スーツケースに入れたら一気に重くなった。手には自分のバッグとダンボール箱のガラス製品。コペンハーゲンの空港でのチェックイン。スーツケー
スを秤に載せ、"手荷物は二つです"と申告する。カウンターの女性は、重量オーヴァーで、3百ドルであり、手荷物は、一個以上持ち込めないと冷たく云い放つ。私は、成田では重量オーバーでオーケーだったので、大丈夫と思った、と答えると、ここは成田でないと言い放つ。こちらも負けずに対抗したが、上司を連れて来て"ダメ!"という。ルールに忠実はいいが、この柔軟性のなさがスカンジナビアの特徴とあきらめ認識、仕方なく郵便で手荷物のガラス類とスーツケースの衣類の一部を郵送する事にして、急いでで郵便局をさがした。フライト時間まであまりないので、半ばパニック状態で急いで箱を買いスーツケースを開け、ガラス類の保護に軽い衣類を出してパッケージを作った。せっかく安く買ったガラス類がこの郵送料で一気に10倍に跳ね上がった。それに、時間がないのでちゃんとラッピングする暇もない。"どうか割れませんように"と祈るしかない。重いF1のカメラはスーツケースから出して肩に掛けた。すこし軽くなったスーツケースと一個の手荷物で再びチェックインカウンターに戻った。さっきの女性は、冷たくしゃくにさわったが、こうなったら、とことん勝負と再び同じカウンターに並んだ。さっきの3百ドルから、"おまけして百ドルにしてあげる"と、情状酌量?で刑を軽くしてもらう。それと、フライトは3時間遅れと言い渡される。"そんなら、なぜ前に云ってくれないんだ、慌てずにラッピング出来たのに!と、不愉快になる。急いで郵便局に戻りさっきの箱は?と聞くと、すでに送った後と云われる。これも旅の月謝か、とあきらめる。出国入り口に入るとそこには日本人らしきグループが固まっていた。手にあまる程の荷物やおみやげを持ってまだ免税店に向かっている、私の荷物なんてもんじゃない。"なんで私だけ!ルールと云うなら徹底して!アンフェアーじゃん"と再び怒りが沸き上がる。これは、講議するしかないと、機内の日本人の乗務員に伝えると、"紙に書いて下さい"と用紙を渡され不公平さを書いて渡す。日本に帰りしばらくすると、スカンジナビア航空の人からお詫びの電話があり、私は"ルールというなら徹底してほしい、それにせっかくのガラス類が3分の2は壊れて台無し、最初にフライトがおくれる事を伝えてくれれば、慌てずに荷造りが出来、大事な買い物類がが壊れなくてすんだ"と抗議する。そ
れでは、 "お詫びに何か品物をお送りします"との答え。私は考えます、と答え電話を切る。法律事務所で働いている友達に聞いたら、仕方ないとのこと、クレジット会社の保険も今回のガラス製品の破損には対応できないとのこと。仕方ない、航空会社には、気分悪いけど"ルールというなら、平等に"と伝へ、この件は終りにする。
海外旅行歴28年にて初めて払った大きな月謝だった。

みなさん、北米線はスーツケース2個までオーケーで、手荷物も融通がききますが、スカンジナビア航空を利用する時はくれぐれも気を付けて。

ヒヤー!

海外への飛行機の旅には慣れているのだが、国内線は経験が少ない。夏休みを兼ねたイヴェント参加で島根に行くために航空券を購入。チケットには出発の15分前までにゲートへ、書いてある。"へえ、国内線って、カジュアルなんだな!"と、新幹線並みと認識。私の移動の時間の使い方は、決して遅れないが、前もって沢山の時間も用意しない。簡単に云えば、ギリギリかな。

フライトは羽田2時発。三鷹から羽田まで、約1時間半とのこと。私は家を出遅れて12時ちょっと過ぎに歩いて駅まで向かった。三鷹駅の時計は1時半を回っていた。。電車の中でこの分だとギリギリチェックイン?と、すこし戦闘体制を意識した。羽田の様子もあまり覚えていないので、駅からチェックインカウンターまでどのくらいあるのかも予想がつかず、ちょっと、甘かったかな?と、だんだんヒヤヒヤして来た。モノレールで隣の席のビジネスマン風の人に、駅から全日空のカウンターまでどのくらいかたずねたところ、さほどないとの事。私は、ドアーのところに着いたらすぐ出られるように、荷物を置いて到着を待った。カウンターに駆けつけたのは、2時15分前、ギリギリだった。カウンターの女性は、"はい"と焦っている私にニコリとして御心配なくと云う様子でチェックインの作業を開始。すると"ただいま満席になりましたので、お乗りなれません"と急に厳しい顔でいう。"そんな!私の席は?"と。"空席待ちの方がいらっしゃいましたので....そしてこのチケットは特割なので....。"と。私は"これに乗らな
いと伊丹からの便もむだになってしまうので....とか、15分前と書いてあるじゃないですか"と抗議する。女性は"もう、他のお客さまが乗っておりますので"の一点張りで聞いてもらえない。仕方ないので、差額を払って他の会社の便でという事になり、手配を頼み、女性は席をはずした。すると"ただいま一席空きましたので御案内します"と、さっきの冷たい顔とは、うって変わってニコニコしてやって来た。私は"やった!"と思う間もない。時間は10分前を切っている。こういう時に限りセキュリティにひっかかる。バッグにはさみがはいっていた。"はさみは着いたらお渡しします"と、書類を渡されやっと機内に。2時すれすれ。"やれやれ、今回は助かった!"と胸をなで下ろす。

ボストンに住んでいた時、ニューメキシコのサンタフェに行く時だったと思う。送ってくれた友人と話していて"ジャアね"と別れたところ、ゲートで"只今ドアが閉まりました"と云われ、"そんな!"と蒼くなったか、"そんならもっと話していれば良かった"と思ったか覚えていないが、ミルウォーキーまわりの便に変えて乗せてもらった事があった。なんとかなるものです。ウームこれだから、たまにお灸をすえられるのです。

気持ちは"二十歳"でも大人の年令なのだから母も当然もっと大人の年令だ。私には、先日まで二人の母がいたが、一人は私の実の母、現在86歳。父の死後、一人が自由でいいと、自分の家を兄家族にわたし彼等と同居せず一人で私の郷里の沼田で生活している。野球が大好きで部屋に松井のポスターを飾るほどのジャイアンツファン。野球シーズンは、彼女の六畳二間のアパートに連日野球好きのお友達が集まってのTV観戦のようだ。今でも夏の暑い時期を除いて、着物を着ている。昔は、太っていてエプロンの似合う肝っ玉母さん風だった。大分足も弱って、小さくなってきたけど、依然好奇心旺盛、まだ吉野ファミリーのゴッドマザーは健在という感じだ。私は彼女の事を"おかあちゃん"とよぶ。

もう一人の母は、残念ながら数日前、他界した。71歳だった。彼女は私の結婚していた人のお母さんで、結婚していた時は同居していたが、世間でいう嫁姑とはほど遠く仲が良かった。背がスラッと高く綺麗な人で昔は原節子ばりだったらしい。私が、留学、その後、私達は離婚することになってとても残念がった。でもそれ以後も、私と彼女は前以上に仲良しだった。一緒に食事をしたり、いろんな事を話した。私の、ライブにはほとんど聴きにきてくれたた。彼女は23年間にわたる腎臓透析患者だった。病気になってからの彼女は、病気と共に生きるという考え方に変わりとても立派だった。まわりの患者仲間のリーダー役になり、みんなの模範となって病気と闘い、国の医療制度の改善などにも奮闘した。私は、母の依頼で、糖尿病などを併発して目の見えない透析患者のためにの朗読テープをダビングするお手伝いをさせていただいていた事を嬉しく思う。今年スウェーデンにレコーディングに行く時は、"化粧品のお土産買ってきて!"と、障害年金をためたおこずかいから、いらないと言うのに"みっちゃんへ"という封筒に入れた餞別をくれた。出来上がった私のCDをプレゼントしたら、お友達の分と何枚も買ってくれた。先日電話で、"胃が変なので検査する"からというので、"病気のベテランだから大丈夫!"と私がいったのが、最後になってしまった。死んだら、"献体"との遺言だったので、お別れの会から、そのまま病院へ見送った。
おかあさん"よくがんばったね、おつかれさま、ゆっくり休んでね。
そして、私を可愛がって下さって、ありがとう。"

お互いさま

前のコラムで"友達が落ち込んでいるというとつい相談にのってしまう"と、練習の鬼になれないユーモアを含んだ言い訳として書いてみたけど、誤解を招く表現でしたね。友達に失礼と撤回します。困った時はお互いさま。私は、お役にたてることがあれば幸せですし、いい友達に囲まれてみんなにもお世話になっています。要は私が練習熱心じゃないだけなのです。
よく政治家が国の為に役に立ちたいとの初心を失って、ワイロで捕まって刑務所に入れられたり自殺したり、またオーム事件もそうだと思うんだけど、信者も最初は自分を高める為に修行してたのが、だんだん迷路に入って人殺しが悪い事と思わなくなってしまって、大事に至って初めて気ずく。そんな事件を見ると、初心を忘れちゃいけないとつくずく思う。音楽は大事だけど、まず私は人間として生まれたんだから、という事を忘れないようにと思っています。困った時はお互いさま、相談できる友達がいる事は、私にとっても財産です。

真面目に?????


前回のコラムで"マイペースで私なりに真面目に音楽と向かい合ってきた"と書いた,がしかし真面目ではあったけど、マイペース過ぎて、音楽家としては努力は怠っていると思う。

その1の理由は
みなさんもそうでしょうが忙しくやらなければならない事が山ほどある。そのため、練習時間が"犠牲になる"本当は"犠牲になる"んじゃなくて"いいプレーヤーはまず第一に"練習をする"だと思う。

2の理由何でも楽しんじゃうので私は、自宅と学校で教えている。
教える事は、生徒の希望を受け入れ、彼等の個性を引き出し、私のアイディア、経験、知識を(気力、体力も)使うコラボレーションワーク、一緒に作って行くのだから、つまらないわけがない。ひとりひとり違う個性と向き合って毎回違うシチュエーション、マンネリしないし、作る事が好きな私は、プロセスも楽しいし成長した彼等を見るのも、聴くのもとても嬉しい。自分が毎日どこかの店で歌わなくても、教える事はレッスンは私にとっても表現の出来る素晴らしい場であり、満足感がある。今回のCDのジャケット制作も、私自身のヴィジュアル表現の最高のステージと思いプロジェクトを作って自分達で作った。プロジェクト(mmkproject)の3人は、CDジャケットなんか作るのも初めてだったのに、面白い事大好き人間で、共通の感性があって、初めてのコラボレーションなのに素晴らしいチームになった。ハードワークの甲斐があって、3人の感性のと努力のたまもの、私らしく、音のイメージに合った素晴らしいジャケットに仕上がったと自負している。
と、いうようにいろいろ楽しんで、やってしまう。
そして、何でも楽しんでやるには、まず気力、体力とスポーツジムにも行く。充実しているといえば、そうですが、ますます、練習時間がなくなる.......。

3の理由
練習の鬼になれない
練習をしようとしても、友達が落ち込んでいるというとつい相談にのってしまう。それに、教える事は、学ぶ事ということで、自分が学んでいると思う。たしかだと思うけど、それも免罪符でもある。人前でいつも歌わないので、いつも恐い思いをしないので必死に練習しなくても、コツコツやればとおもう。それもそうだけど楽を選んでるのかもしれない。準備して、ライブやコンサートしかしない。だからマイペースなんだけど、うーむ、わかんなくなって来た........
続きはまた、いつか........ .。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Copyright © 2006-2009 BlueVega Records. All Rights reserved