■2001年を振り帰って
今年最後の私のライブが26日に終わりました。
私は、まだ”ホーット”するまでいかず、脱力感で呆然 とボーっとしています。
ライブは友人のブラジリアンミュ−ジシャン.シルヴィオのプロデュースで,素敵な雰囲気の中、ピアノの大徳俊幸さん、ベ−ス佐瀬正さん、ドラムス岡田桂太さん、アルトサックスは初共演の宮崎勝央さんそして私のクウィンテットにシルビオもゲストで歌っていただき楽しい贅沢なライブになりました。わたしものびのび歌え声も調子が良く(大好きなワインを一週間くらい控えました)今年一番よく歌えたような気がします。
聴きに来て下さったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
はじめての場所で、迷った方ごめんなさい。
今年はアルバム(CD)を作るため、1月のスェーデンでのレコーディング、帰国後CDのジャケットづくりに入り6月の発売まで約半年間かかりました。
あ、そうそう、3月に講師をしている学校のゴスペルツアーでハーレムに。
6月と12月は、私のスタジオの仲間との新宿ピットインでのライブ”SPICE IF LIFE"
そして、7月、今年初めてのライブはSOMETIMEでのCD発売記念、たくさんの方に聴きに来ていただいて楽しいライブになりました。私としては久しぶりに歌うので楽しみだったのですが、準備不足で歌が荒かったのが反省でした。
そして8月のBLUES ALLEY、台風にぶつかったのにもかかわらず、この日もたくさんの方に聴きに来ていただいて、いいライブになりました。そして先日のSABBATH TOKYOでのX'mas LIVE..
今年は、友人からのパーティーのお誘いにはほとんど出席出来ず、”ごめん”の連発、唯一のんびり出来たのが、バリに行った5日間だったような気がします。それと8月は”身体表現ワークショップ”というのに参加するために、夏休みも兼ねて、生まれて初めて島根県に行きました。外国の旅ばかり慣れている私には、新鮮な旅でした。
悲しい事もありました。9月のテロやアフガン空爆そして私の大好きだったお母さん(前夫の)と叔父がこの夏あいついで他界しました。
悲しい事もあった1年でしたが、17 年振りにアルバムが出来、いろんな方たちとの交流、新しい方との出会い、忙しかったけど充実した年でした。
来年は私のスェーデンのレコーディングをサポートしてくれた友人のヴォーカリスト、Grazyna Augstickがコンコルド.ジャズフェスティヴァルに出演が決まって10月来日する事になっています。私は、2月13日にBLUES ALLEYでヴァランタインライブそして4月3日六本木ピットインでのバースデーライブが決まっていますのでいろいろ楽しみです。
今年1年お世話になった方々、本当にありがとうございました。
一緒にやって来た仲間のみなさん、来年も元気で行きましょうね。
2002年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎え下さい!2001年12月29日吉野美知子
■イチロー”You are so beautiful"
今日は外出を控えて、たまたまTVをつけたところ、画面にイチローがでていました。
”もしかして”と新聞のTV欄を見ると、いつかみたいと思って見のがしてしまったN.H.Kの”ICHIRO2001” という番組の再放送でした。ラッキー!でした。
私はイチローのファンです。新庄もチャーミングで好きですが、イチローは、すごい!です。たくさんの感動を与えてくれます。この再放送は、今夜ちょっと疲れぎみの私への、ステキなプレゼントでした。
番組はすでに、30分くらい経過していたのですが、それでもあと一時間半は残っていました。26日のX'masライブの準備があるのでゆっくりTVなんか見ている場合じゃないのですが、
30分の見逃しを”残念!”と思ったくらいです。
その番組を見ていて、イチローの野球に対する姿勢の美しさに、何度もジワっときたり、イチローの少年のような笑顔と一緒にほほ笑んだり、礼儀正しいイチローのように、わたしも背筋をのばして見ていました。
美しい!カッコイイ!
プレイは最高、いつもひたむきで、さりげなく、決して高ぶらず、謙虚で野球に対する敬意をいつももっていて、人の気持ちが解り、クールで純真で............監督の話では、彼はとってもユーモラスだという。
イチローは言う
”記録はわかりませんが、自分が後悔しないように力を出す準備を十分したか、という事が一番大事です”
また、またThank youです。
Thank you very much "ICHIRO" We love you!
■”大森明さん&フレディ.コールのコンサートのはしご”
昨日は、 西 国分寺駅前のいずみホールでの大森明さんのCD発売記念コンサートを聴きに行きました。大森さんは、いつも素晴らしい技術と誠実な美しい音色。自然な大森さんらしく素敵なコンサートでした。
大森さんには、私のリサイタルやライブに何度か、ボストンからお招きしたGreg.Hopkinsと共に出演していただきました。大森さんに”おめでとうございます!”のあいさつをした後、予約をしていた渋谷のBZ BratへFreddy Coleのクアルテットの十時のショーを聴きに行きました。
またまた、いいライブで来てよかった!と思いました。
フレディーと来日したベーシストのZackery Prideから、前回マーク.マーフィーと来日したとき、ベ−スのどこかの部分が壊れて”修理するところを教えて!”とS.O.Sの電話がかかって来ました。私はすぐ、何度か共演した事のあるベーシストの佐藤恭彦さんに電話をして、代々木の工房を教えていただき、ザックのベースは元に戻りました。
そんな縁で、ザックから”...貴方のおかげでベースが直って日本でのツアーが無事終わりました。12月にフレディ.ーコールと来日します。彼の声は大好きです。ぜひフレディーの声をきいて欲しい”というメールが届いたので、ヴォーカリストの友人と予約をして、初めて渋谷のBZ Bratというライブハウスへ。
フレディーは、ナットキングコールの末の弟さんです。お兄さんのナットと同じ、ピアニストでシンガーです。年はもう70歳を過ぎているか?と思いますが、才能はもちろん、長いキャリアでつちかわれた音楽は”これぞスウィング”という気持ちよさでした。
メンバーみんな、祈りのように、でもたんたんと、そして一音一音噛みしめるように、楽しんでプレイ、素晴らしかった!
声はお兄さんのナットより渋くて(これは年令のせいもあるかも)ブルージーでちょっと骨太の感じで、でもシンプルで素朴で....またまた幸せ体験。ほんと音楽はいいなあ!でした。
■”師走”
やはり師走、普段、わりと隠っている事が多い私も外出が多い。
今週一週間だけでも。
初めは、ボストンから私のヴォイスの先生が公演の為来日していて、その先生の出演する、第九を聴きに池袋の芸術ホールへ、明日は、西国分寺へサックスの大森明さんのアルバム発売記念コンサート、その足で渋谷へ、知り合いのベーシストがナットキングコールの弟のフレディ.ーコールと来日、そのライブへ。金曜日は、三人の友人の個展へ。画廊三軒のはしご。幸いな事に私の休みの14日は、初日の人、最終日の人、まん中の人の会期と重なって一日画廊ツアーの予定、土曜の夜は、また友人のライブを聴きに.....と、こんなふうに書いていると、ニューヨークにでも行ったときみたいに、忙しく、とってもエキサイティングで楽しそうなプログラム。
しかしなんとなく、心はそわそわ、あせっています。
26日の自分のX'mas LIVEをも控えているので、その準備のプレッシャーが.....。
でも、一つ一つ、それぞれの人の思いがこもった贅沢な催し、遠慮なく楽しませていただきます。
これが師走なんですね!
◆◆12/6/2001 ◆◆
■”Thank you !シーラ.ジョーダン”
今日、新宿のピットインへに来日中のヴォーカリストのシ−ラ.ジョーダンを聴きにいきました。ピアノのピーター. ミケリッチ そしてトラッンペットの原朋直とのトリオでした。素晴らしかった!
SPICE OF LIFE が終わって(私のスタジオの仲間とのライブ)ちょっと疲れていた私の心身が、一瞬にして幸福感に満たされ、疲れも吹き飛びました。
シーラが今夜、自分の事を歌ったブルースの歌詞によると、おかあさんが17歳のときデトロイトで生まれ、おかあさんが若すぎたので、15歳までペンシルベニアの祖父母に育てられ、帰って来たデトロイトで15歳ころからジャズクラブに出入りしジャズで育った、との事。
現在73歳、パワーが減った分、繊細 さ、円熟味をまし、そしてますます、洗練され、感動的でした。そして”私も彼女のようになりたい”と思いました。
最初に彼女のライブを聴いたのは、1976年、初めてNYに行ったとき。ビルの殺風景な一室でのライブで、その後ちょっとお話をした。そしてボストンに住んでいたとき、二回くらい?ライブを聴いた。歌はスタイリッシュで、ずっと変わらないおかっぱ頭、ビバップを愛し、歌いそして独特のスキャット、また、バラードは飾らない。今もぜんぜん衰えは感じない。瑞々しくて、そしてかわいらしい。”Thank you very much!シーラ.ジョーダン”
◆◆12/5/2001 ◆◆
■"SPICE OF LIFE"
私の主宰しているワークショップの17回目のライブ"SPICE OF LIFE"が12月1日に終わりました。私は、プロデュース、監督そしてコーラスとソロを2曲歌いました。
みんな素晴らしい仲間、回を重ねるごとに力をつけて、たのもしいかぎりです。
終わると、”ほっと”した気持ちの後、向き合っていた出演者の緊張、情念が、私の中に一週間くらい同居します。いつもですが、しばらく呆然としてかなりの脱力感です。自分が歌うライブの後の脱力感と違い、監督をする事は、一人ひとりの緊張、歌うことの思いが私に乗り移り、頭の中をぐるぐる駆巡ているんじゃないか、というような感じです。眠っていても、みんなが頭の中で歌ったり、みんなの顔が出て来て、興奮状態が3ー4日は続きます。
という事は、そのくらいみんな一生懸命で真剣なんだと思います。ひとり2曲、2ー6ヶ月かけて準備をして、その2曲に込めた自分の思いを、練習の結果(作品)をステージで表現する。N.H.Kの紅白の出演者だって、たった一曲にかける思いはすごいですから。
ステ−ジ上では、一人一人が、自分を引き受けなければならないので、いろんな意味でとても素晴らしい勉強になります。私にとっても、みんな一人一人が輝くように、そして全体がステキなライブになるように、大きな責任があり、毎回、毎回勉強です。
◆◆11/21/2001 ◆◆
■伊藤くんからの”中里さんのスライド上映会のお誘い”
ここのところ(あいかわらず?)たてこんで、書きたい事はたくさんあっても、コラムを書く時間がもてなくて、ごめんなさい。
そのたてこんだ出来事の一つを今日は御紹介します。
先日久しぶりに20年来の友人、建築家の伊藤君から(私のほうが少しお姉さんなので昔からこう呼んでいます)彼のアトリエでのスライド上映会のお誘いをいただきました。
以前彼のアトリエが西荻窪にあった時は、建築や美術関係のスライド上映会が時々あって、いろいろ勉強させていただきました。そしてスライドや、レクチャーが終わるといつも楽しい酒盛りでした
また伊藤君とは、私のところで書の勉強会を月一回2年間位やったりしたけど、その後の2年近く”ちらっ”っとしか、会っていなかったので彼の電話は懐かしくうれしかった。
スライド上映会は、私は「その日は仕事があるので残念!」と、答えたのですが、一応新しいアトリエの地図をファックスしていただいた。
その地図にあった案内文を読んでいるうちに、その写真家の作品が見たくなり、また伊藤君や小林さん(左官教室という業界誌の編集長で素晴らしい方で、私は彼のファンです。いつか小林さんの事はコラムに書いてみたいと思います)にも会いたくなり、仕事の都合をつけて、伺いました。
伊藤君の案内文で、中里さんの写真を”見たい!”と思い、すでに中里さんの作品に感動し”仲間や学生にぜひ見てほしい”と、この会を企画した伊藤君、彼のおくってくれた案内文から久しぶりに彼の感性に再会し、大変うれしくなりました。その伊藤君の案内文とは
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スライド上映会のお知らせ
先頃、「小屋の肖像」という写真集を出版された写真家中里和人さんの御好意により彼が全国を歩いて出会った多くの”小屋”たちを見せていただける事になりました。
以前、中里さんに撮影方法を伺ったことがあります。
それは「写真うつりの為にいろいろ工夫し、準備しての一枚ではなく、「これだっ!」という小屋に出会うと同時に、すでに彼の身体の一部だというライカのシャッターが押されている、そんな一枚だそうです。ですから、35mmのレンズを通して私達の目にあらわれる”小屋”は、中里さんが出会った、まさに瞬間のたたずまいです。」
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その甲斐があって、中里さんの写真は、本人同様、ハートフルで素朴で力強くて美しかった。集まった仲間も私同様、まだお会いした事のない中里さんの写真に興味を感じた人達で、参加した仲間とも楽しい時を過ごした。
うまく写真のことは言えないので、中里さんの写真集の帯のところにあるこんな文章を
御紹介します。
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集落をぬけると急に視界が開け、遠くの山並が薄墨色に煙っていた。
つづら折りの道を何本か曲がったとき、西日に照らされた小屋がふいに飛び込んできた。
「これだっ!」その小屋を見た瞬間、つつましさの中に秘められた品格のようなものを強く感じた。
............ありあわせの廃材で作られた小屋には、現代の暮らしが求める過剰さが無い。用の為に建ち、褪色し、増殖し、生き延びて来た姿にてらいがない。あるのは、いい加減さと潔さである...........(あとがきより)
中里さんの「小屋の肖像」はメディアファクトリーより¥3,200で発売されています。
◆◆11/6/2001 ◆◆
■不思議な現象?
今日は、細かい字を肉眼でずっと見ていたのでだいぶ目が疲れた。
私は夜型なので夜中に(一応、早朝)にゴミを出す。
ゴミを持って外ヘ出たら、夜空がすごくきれいにだったのでびっくりした。
今夜は、すべての星が澄んだ暗闇にいつもより大きく、横に広がって輝いていて
”こんな星って見るのは初めてだ、不思議な現象だ!”なんて感動した。が、もしかして?と月に目を移すと月も横に広がって大きくだぶって輝いている。”なんだ!とがっかり。これはちっとも不思議な現象でもなく、単に私の目がおかしいからそう見えただけだった。
何年か前から乱視らしい。毎日の生活には影響ないけど、それ以来、大好きなお月さまが一重にくっきり見えない。
繊細な三日月なんか絶対すっきり見たいのに、いつもだぶってがっかりだ。
そう、乱視のせいで、そのうえ、目が疲れていたため、星がだぶって大きく見えただけだった。乱視の効果だったわけです。
それにしても、今夜の星空きれいだったなあ!
◆◆11/1/2001 ◆◆
■私は、宇宙人でも、外国人でもないのですが!
昨日、今来日中のギタリストラッセル.マーロンのクゥワルテットが演奏するので”遊びに来ませんか”という、うれしいお誘いを頂き、近くの会場に出かけ、私も2曲ジョイントさせていただいた。
コンサートはプライベートパーティーだったので、パーティーには、なじめなかったけど、.マーロンのバンドのメンバーとは初対面でもすぐうちとけて、一緒にプレイし、いろんな話をしてとても楽しかった。
そして、思うのですが、外国のミュージシャンとは、私はすぐ打ち解けて自然に話しがすすむのですが、同じ日本人のミュージシャンとは最初は結構、緊張したり、私を理解してもらうのに時間がかかる場合があります。
なぜかな?といつも思います。
私は、宇宙人でも、外国人でもないフレンドリーな人だと自分では思うのですが!
2001年7月〜9月
◆◆9/23/2001 ◆◆
■リラックス出来る一枚
新宿に用事があり、数年振りに駅ビルの隣のタワーレコードに寄った。
たまにレコード屋に寄り私のアンテナに引っかかったのを買います。今日はぶらぶらしているうちに、日本人のジャズのコーナーにぶつかりました。私のCDは今年6月発売なので、もう扱ってもらえていないだろうと思いましたが、一応”Y”のところを覗いたところありました。
”吉野美知子”という名前の仕切りの横に私のアルバムが!
渋谷、吉祥寺のタワーには、チラシを持って挨拶に行きましたが、新宿のタワーに行ったのは4ー5年ぶりでした。 私のアルバムがあったので、ちょっとうれしくなって、お礼の気持ちで4枚CDを購入しました。その中の1枚”坂本龍一”が出した、ジョビンに捧げたルバム”CASA"は上品で美しい。クラシック音楽のような感じであり、ブラジル音楽の土着な感じはほとんどありません。でも自然で、今までにないジョビン作品の一枚との感じでステキです。
久しぶりにリラックスできる一枚でした。
◆◆9/1/2001 ◆◆
■BIG BAND
8/30先日BLUES ALLEYで共演していただいたサックスの三木(俊雄)さんが、リーダーのフロントページオーケストラを聴きに行きました。三木さんとは、バークリー時代に知り合いBLUES ALLEYが初めての共演でした。バンドは小編成のビッグバンドでしたが、楽しかったです。BOSTONにいたころは、ビッグバンドが、好きでよく聴きました。今のビッグバンドは昔のダンスミュージックや、有名アレンジャーのヒット作品ではなく、オリジナルの作品や、オリジナルアレンジが楽しいです。メンバーのソロも楽しいですが、作品がどんな風に発展して行くのかな?と云う楽しみもあります。メンバーみんな音楽が好きでpureな姿勢と音が伝わって来ました。三木さんの、トークも面白いので感心しました。そういえばジャズ番組のDJをやっていると聴きましたので、納得です。やはり関西人のおかしさがありました..。先日の私の、ライブはCD発売記念だったので、三木さんのサックスの出番は少なかったので、次にお願いする時は、もっと吹いてもらいましょう!
(もちろんトークも!)
◆◆8/31/2001 ◆◆
■真面目に?????つづき
7/3/2001のコラムで"続きは、またいつか"と書いたので.....つながるか分かりませんが、続けてみます。8/21はBluesAlley でのCD発売記念ライブでした。私自身もその日をとても楽しみにしていました。当日はあいにく、台風とぶつかってしまいました。それより、前日コーラスを教えている時、突然声が思うようにでないのを感じマズイ!と思ったら案の定、朝起きたら声が、がらがら、ウオームアップしてもいつもの延びはありませんちゃんと歌えるんだろうか?と、とても不安になりました。今年初めての私にとっては大切なステージ、音程の難しい最初の曲の"INVITATION"はちゃんとクールに8分の6拍子に乗ってスタートし私の雰囲気、カラーを出せるだろうか?頭の中は不安がよぎっていました。控え室で、始まる前、落ちつかなくて、私はなんだかブツブツ言っていたみたいで、サックスの三木さんが俺に話しかけているのか、独り言なのかわからないよ!なんて不思議がっていうので、私は、ナーバスなんですと説明、そばにいた、大徳さんは吉野さんはもっと外の毒に触れればいいんだよ!私は、......と。
続きはまたいつか........
◆◆ 8/12/2001 ◆◆
■甲子園ー2
けさの新聞のスポーツ面の高校野球の記事でプロ棋士の谷川浩司氏が”強くなる秘けつ”というコラムによせている、高校野球と将棋の対局の通じる話している。いい話しでしたので御紹介します。
”........ゲーム終了。勝者の校歌を敗者が聞く。勝負の厳しさを一番感じる瞬間です。でも将棋にも通じる事ですが、勝負には、厳しさと同時に潔さが大切なんです。将棋は自分では負けを認めねばならないゲームです。「まけました」と言って頭を下げるのが正しい投了の仕方。辛い瞬間です。でも、「まけました」とハッキリ言える人はプロでも強くなる。これをいい加減にしている人は上に行けません。ベテランが息子みたいな棋士と対局して破れた時は正直いってつらい。ですが、これが出来ないと勝負の世界ではやっていけない。高校野球でも敗者は相手の校歌など聞きたくないはず。グランドからすぐにでも逃げたい心境でしょう。しかし、我慢して聞く事が次につながるんです。私も棋士になってから500回頭をさげました。..........将棋でも野球でも負ける事で免疫が得られる。社会に出たらいろいろな競争に待ち受けているはずですから、早いうちからすこしづつ挫折を経験することは必要なのではないでしょか............。”と。
”ウーム勝負の世界は厳しいな、でも美しくカッコいいなあ!”なんて思った。その足で、ジムに行ったら、クラブのTVに試合終了の画面に、勝敗を分けた両方の彼等の姿が写っていた。音がなくても十分想像力を刺激する真実のドラマがあった。美しくて思わずジワッときてしまった。
スポーツはいいなあ!もちろん音楽はもちろんですが!
◆◆ 8/10/2001 ◆◆
■甲子園ー1
私には上に兄が3人の4人兄妹。兄達はみんな音楽好きだったが体育会系だった。一番上は、バレーボールで国体に行った。二番目の兄は野球好きで、息子にまんが’巨人の星’の星飛馬?ばりの、龍也と言う名前をつけて野球をやらせていた。千葉まで野球の強い高校に通わせていたが本人が、もう野球やりたくない!と高校二年でやめて、兄の高校野球の夢は破れてしまったのか、それまで毎夏甲子園まで高校野球の観戦に欠かさずでかけ、必ずバックネットの向こう側の席で見ていた姿が消えた。今、甥の龍くんは社会人になって、趣味でやっている野球が楽しいと言う。三番目の兄は、中学、高校と野球ばっかりやっていた。高校も野球の強い学校に入ったけど、甲子園の夢はかなわなかった。その兄の息子が野球をやりたくて前橋工業にはいった。昨年たたまたまTVをつけたら、高校野球の群馬大会の決勝をやっていて、私と同じ吉野と名乗る甥が昔の兄の面影に似た姿でヒットを打ったが惜しくも甲子園には届かなかった。その甥は今年、野球をやりに九州の大学に入ったとのこと。前工は今年は昨年の雪辱を果たして甲子園への出場権を勝ち取り、一回戦を逆転で勝利した。
きっと、群馬の兄の家は、この夏以上に熱いに違いない。
◆◆ 7/28/2001 ◆◆
■スカンジナビア航空には気をつけて!
ヒヤー!ついでに、成功しなかった例です。
一月にレコーディングでスウェーデンに行った。まだ一度も行った事のない一月の北欧。防寒の衣類やお土産類が行きの成田で重量チェックでは、ちょっとオーバーだったが、オーケーをもらった。帰路、スウェーデンを出る時は問題なかった。そしてデンマークのコペンハーゲンで二泊した。土日だった。コペンハーゲンのお店は、土曜日は4時で店じまい。日曜日はほとんど閉店。新聞で唯一フリーマーケットを見つけた。バスを乗り継いで行くと、見本市のような大きいな会場。血が騒ぐ。スカンジナビアはガラス製品が多いらしくアンティークのガラスに惹かれた。高ければ意味がない。魅力的なものを安価で見つけるのがフリーマーケットのだいご味だ。私は、ガラス類の掘り出し物をみつけ、市を楽しんだ。ちゃんとラッピングなどしてくれないから、あり合わせの箱に入れてもらい、ビニールの袋で取っ手をつけた。飛行機には、手荷物で持って帰ることにする。帰りにマーケット会場の入り口のところで包丁セットが売られていた。アタッシュケースに入ったゾリンゲン風の新品フルセットの包丁類。スウェーデンでのレコー
ディングスタジオのオーナー、ステファンの広いキッチンには素晴らしい包丁セットが揃っていて、その包丁で私とステファンと交代で料理を作り合った。そのインパクトが強かったのかも知れない。包丁セットは、私に向かって”貴方のところに行くためにここで待っていました”と、訴えているようだったので、それに3,000円位と安かったのでで買った。包丁類は、凶器になるので手荷物で機内には持ち込めない。スーツケースに入れたら一気に重くなった。手には自分のバッグとダンボール箱のガラス製品。コペンハーゲンの空港でのチェックイン。スーツケー
スを秤に載せ、”手荷物は二つです”と申告する。カウンターの女性は、重量オーヴァーで、3百ドルであり、手荷物は、一個以上持ち込めないと冷たく云い放つ。私は、成田では重量オーバーでオーケーだったので、大丈夫と思った、と答えると、ここは成田でないと言い放つ。こちらも負けずに対抗したが、上司を連れて来て”ダメ!”という。ルールに忠実はいいが、この柔軟性のなさがスカンジナビアの特徴とあきらめ認識、仕方なく郵便で手荷物のガラス類とスーツケースの衣類の一部を郵送する事にして、急いでで郵便局をさがした。フライト時間まであまりないので、半ばパニック状態で急いで箱を買いスーツケースを開け、ガラス類の保護に軽い衣類を出してパッケージを作った。せっかく安く買ったガラス類がこの郵送料で一気に10倍に跳ね上がった。それに、時間がないのでちゃんとラッピングする暇もない。”どうか割れませんように”と祈るしかない。重いF1のカメラはスーツケースから出して肩に掛けた。すこし軽くなったスーツケースと一個の手荷物で再びチェックインカウンターに戻った。さっきの女性は、冷たくしゃくにさわったが、こうなったら、とことん勝負と再び同じカウンターに並んだ。さっきの3百ドルから、”おまけして百ドルにしてあげる”と、情状酌量?で刑を軽くしてもらう。それと、フライトは3時間遅れと言い渡される。”そんなら、なぜ前に云ってくれないんだ、慌てずにラッピング出来たのに!と、不愉快になる。急いで郵便局に戻りさっきの箱は?と聞くと、すでに送った後と云われる。これも旅の月謝か、とあきらめる。出国入り口に入るとそこには日本人らしきグループが固まっていた。手にあまる程の荷物やおみやげを持ってまだ免税店に向かっている、私の荷物なんてもんじゃない。”なんで私だけ!ルールと云うなら徹底して!アンフェアーじゃん”と再び怒りが沸き上がる。これは、講議するしかないと、機内の日本人の乗務員に伝えると、”紙に書いて下さい”と用紙を渡され不公平さを書いて渡す。日本に帰りしばらくすると、スカンジナビア航空の人からお詫びの電話があり、私は”ルールというなら徹底してほしい、それにせっかくのガラス類が3分の2は壊れて台無し、最初にフライトがおくれる事を伝えてくれれば、慌てずに荷造りが出来、大事な買い物類がが壊れなくてすんだ”と抗議する。そ
れでは、 ”お詫びに何か品物をお送りします”との答え。私は考えます、と答え電話を切る。法律事務所で働いている友達に聞いたら、仕方ないとのこと、クレジット会社の保険も今回のガラス製品の破損には対応できないとのこと。仕方ない、航空会社には、気分悪いけど”ルールというなら、平等に”と伝へ、この件は終りにする。
海外旅行歴28年にて初めて払った大きな月謝だった。
みなさん、北米線はスーツケース2個までオーケーで、手荷物も融通がききますが、スカンジナビア航空を利用する時はくれぐれも気を付けて。
◆◆ 7/27/2001 ◆◆
■ヒヤー!
海外への飛行機の旅には慣れているのだが、国内線は経験が少ない。夏休みを兼ねたイヴェント参加で島根に行くために航空券を購入。チケットには出発の15分前までにゲートへ、書いてある。”へえ、国内線って、カジュアルなんだな!”と、新幹線並みと認識。私の移動の時間の使い方は、決して遅れないが、前もって沢山の時間も用意しない。簡単に云えば、ギリギリかな。
フライトは羽田2時発。三鷹から羽田まで、約1時間半とのこと。私は家を出遅れて12時ちょっと過ぎに歩いて駅まで向かった。三鷹駅の時計は1時半を回っていた。。電車の中でこの分だとギリギリチェックイン?と、すこし戦闘体制を意識した。羽田の様子もあまり覚えていないので、駅からチェックインカウンターまでどのくらいあるのかも予想がつかず、ちょっと、甘かったかな?と、だんだんヒヤヒヤして来た。モノレールで隣の席のビジネスマン風の人に、駅から全日空のカウンターまでどのくらいかたずねたところ、さほどないとの事。私は、ドアーのところに着いたらすぐ出られるように、荷物を置いて到着を待った。カウンターに駆けつけたのは、2時15分前、ギリギリだった。カウンターの女性は、”はい”と焦っている私にニコリとして御心配なくと云う様子でチェックインの作業を開始。すると”ただいま満席になりましたので、お乗りなれません”と急に厳しい顔でいう。”そんな!私の席は?”と。”空席待ちの方がいらっしゃいましたので....そしてこのチケットは特割なので....。”と。私は”これに乗らな
いと伊丹からの便もむだになってしまうので....とか、15分前と書いてあるじゃないですか”と抗議する。女性は”もう、他のお客さまが乗っておりますので”の一点張りで聞いてもらえない。仕方ないので、差額を払って他の会社の便でという事になり、手配を頼み、女性は席をはずした。すると”ただいま一席空きましたので御案内します”と、さっきの冷たい顔とは、うって変わってニコニコしてやって来た。私は”やった!”と思う間もない。時間は10分前を切っている。こういう時に限りセキュリティにひっかかる。バッグにはさみがはいっていた。”はさみは着いたらお渡しします”と、書類を渡されやっと機内に。2時すれすれ。”やれやれ、今回は助かった!”と胸をなで下ろす。
ボストンに住んでいた時、ニューメキシコのサンタフェに行く時だったと思う。送ってくれた友人と話していて”ジャアね”と別れたところ、ゲートで”只今ドアが閉まりました”と云われ、”そんな!”と蒼くなったか、”そんならもっと話していれば良かった”と思ったか覚えていないが、ミルウォーキーまわりの便に変えて乗せてもらった事があった。なんとかなるものです。ウームこれだから、たまにお灸をすえられるのです。
◆◆ 7/20/2001 ◆◆
■母
気持ちは”二十歳”でも大人の年令なのだから母も当然もっと大人の年令だ。私には、先日まで二人の母がいたが、一人は私の実の母、現在86歳。父の死後、一人が自由でいいと、自分の家を兄家族にわたし彼等と同居せず一人で私の郷里の沼田で生活している。野球が大好きで部屋に松井のポスターを飾るほどのジャイアンツファン。野球シーズンは、彼女の六畳二間のアパートに連日野球好きのお友達が集まってのTV観戦のようだ。今でも夏の暑い時期を除いて、着物を着ている。昔は、太っていてエプロンの似合う肝っ玉母さん風だった。大分足も弱って、小さくなってきたけど、依然好奇心旺盛、まだ吉野ファミリーのゴッドマザーは健在という感じだ。私は彼女の事を”おかあちゃん”とよぶ。
もう一人の母は、残念ながら数日前、他界した。71歳だった。彼女は私の結婚していた人のお母さんで、結婚していた時は同居していたが、世間でいう嫁姑とはほど遠く仲が良かった。背がスラッと高く綺麗な人で昔は原節子ばりだったらしい。私が、留学、その後、私達は離婚することになってとても残念がった。でもそれ以後も、私と彼女は前以上に仲良しだった。一緒に食事をしたり、いろんな事を話した。私の、ライブにはほとんど聴きにきてくれたた。彼女は23年間にわたる腎臓透析患者だった。病気になってからの彼女は、病気と共に生きるという考え方に変わりとても立派だった。まわりの患者仲間のリーダー役になり、みんなの模範となって病気と闘い、国の医療制度の改善などにも奮闘した。私は、母の依頼で、糖尿病などを併発して目の見えない透析患者のためにの朗読テープをダビングするお手伝いをさせていただいていた事を嬉しく思う。今年スウェーデンにレコーディングに行く時は、”化粧品のお土産買ってきて!”と、障害年金をためたおこずかいから、いらないと言うのに”みっちゃんへ”という封筒に入れた餞別をくれた。出来上がった私のCDをプレゼントしたら、お友達の分と何枚も買ってくれた。先日電話で、”胃が変なので検査する”からというので、”病気のベテランだから大丈夫!”と私がいったのが、最後になってしまった。死んだら、”献体”との遺言だったので、お別れの会から、そのまま病院へ見送った。
おかあさん”よくがんばったね、おつかれさま、ゆっくり休んでね。
そして、私を可愛がって下さって、ありがとう。”
◆◆ 7/6/2001 ◆◆
■お互いさま
前のコラムで”友達が落ち込んでいるというとつい相談にのってしまう”と、練習の鬼になれないユーモアを含んだ言い訳として書いてみたけど、誤解を招く表現でしたね。友達に失礼と撤回します。困った時はお互いさま。私は、お役にたてることがあれば幸せですし、いい友達に囲まれてみんなにもお世話になっています。要は私が練習熱心じゃないだけなのです。
よく政治家が国の為に役に立ちたいとの初心を失って、ワイロで捕まって刑務所に入れられたり自殺したり、またオーム事件もそうだと思うんだけど、信者も最初は自分を高める為に修行してたのが、だんだん迷路に入って人殺しが悪い事と思わなくなってしまって、大事に至って初めて気ずく。そんな事件を見ると、初心を忘れちゃいけないとつくずく思う。音楽は大事だけど、まず私は人間として生まれたんだから、という事を忘れないようにと思っています。困った時はお互いさま、相談できる友達がいる事は、私にとっても財産です。
◆◆ 7/3/2001 ◆◆
■真面目に?????
前回のコラムで”マイペースで私なりに真面目に音楽と向かい合ってきた”と書いた,がしかし真面目ではあったけど、マイペース過ぎて、音楽家としては努力は怠っていると思う。
その1の理由は
みなさんもそうでしょうが忙しくやらなければならない事が山ほどある。そのため、練習時間が”犠牲になる”本当は”犠牲になる”んじゃなくて”いいプレーヤーはまず第一に”練習をする”だと思う。
2の理由何でも楽しんじゃうので私は、自宅と学校で教えている。
教える事は、生徒の希望を受け入れ、彼等の個性を引き出し、私のアイディア、経験、知識を(気力、体力も)使うコラボレーションワーク、一緒に作って行くのだから、つまらないわけがない。ひとりひとり違う個性と向き合って毎回違うシチュエーション、マンネリしないし、作る事が好きな私は、プロセスも楽しいし成長した彼等を見るのも、聴くのもとても嬉しい。自分が毎日どこかの店で歌わなくても、教える事はレッスンは私にとっても表現の出来る素晴らしい場であり、満足感がある。今回のCDのジャケット制作も、私自身のヴィジュアル表現の最高のステージと思いプロジェクトを作って自分達で作った。プロジェクト(mmkproject)の3人は、CDジャケットなんか作るのも初めてだったのに、面白い事大好き人間で、共通の感性があって、初めてのコラボレーションなのに素晴らしいチームになった。ハードワークの甲斐があって、3人の感性のと努力のたまもの、私らしく、音のイメージに合った素晴らしいジャケットに仕上がったと自負している。
と、いうようにいろいろ楽しんで、やってしまう。
そして、何でも楽しんでやるには、まず気力、体力とスポーツジムにも行く。充実しているといえば、そうですが、ますます、練習時間がなくなる.......。
3の理由
練習の鬼になれない
練習をしようとしても、友達が落ち込んでいるというとつい相談にのってしまう。それに、教える事は、学ぶ事ということで、自分が学んでいると思う。たしかだと思うけど、それも免罪符でもある。人前でいつも歌わないので、いつも恐い思いをしないので必死に練習しなくても、コツコツやればとおもう。それもそうだけど楽を選んでるのかもしれない。準備して、ライブやコンサートしかしない。だからマイペースなんだけど、うーむ、わかんなくなって来た........
続きはまた、いつか........ .。
◆ 6/20/2001◆◆
■劇団銅鑼の“センポ.スギハラ”
4月はじめ、私の教えている学校からの依頼で上板橋にある劇団銅鑼にヴォーカル指導にお伺いしました。たった四日間の集中ワークショップでしたが、さすがプロの劇団員のみなさん、当たり前の事ですが、声も身体もチームワークも素晴らしくみんなやる気満々な素敵な人たちで、あっという間に四日過ぎていきました。その銅鑼が、この秋ポーランドに公演にいかれるという事をその時知り、私もポーランド出身の友人(グラジェーナ)のおかげでスェーデンでのレコーディングが終わり、前のに日待望のCDが出来上がって工場から届いたばかりだったので、これも何かの縁かな?と思い、彼女の話をして、彼女と私のCDを差し上げました。そして打ち上げの時、”今年でなければ私もポーランドに行ってみたいなア”なんて思っていました。そして、しばらくして劇団銅鑼の馬淵さんから、”団員が先生のCDが欲しいのでの9枚送ってください”とのうれしいファックスをいただきました。そして、昨日はポーランド公演が決まっている”センポ.スギハラ”を小平のホールに招待していただきました。”センポ.スギハラ”とは、第二次世
界大戦が勃発した頃のリトアニア日本領事杉原千畝の事で、ナチスドイツに追われポーランドから逃げて来たユダヤ人に日本政府の反対を押し切ってヴィザを発給し6000人のユダヤ人の命を救ったという勇敢な領事、杉原氏の物語りで、久しぶりの新劇鑑賞、新鮮な刺激と感動を覚え、嬉しい気持ちで田無市に駐輪していた自転車にて帰路につきました。
銅鑼のみなさん、ポーランド公演の御成功を祈っています。そして、また飲みましょうね!
◆ 6/18/2001◆◆
■“ひょうたん山”やりました。
一週間たった昨日、市ヶ谷の教室のHさん(房子さん)が約束どおり”ひょうたん山”のゲームのリーダーになって”ひょうたん山”をやってみました。Hさんがセミナーでやったとき、”みんなうまく言葉で言えなくってすごく時間がかかってね......。”と言っていたのですが、私達は毎週顔をあわせて一緒に音楽で心をあわせているせいか時間内に出来ました。書いた地図もオリジナルととても近く出来上がりました。みなさんも、何人か集まったら気分転換にいかがですか?同じクラスの、恭子さんにまとめてもらったので”ひょうたん山”を御紹介します。
【Story】
一行(6人)は「ひょうたん山」に登りましたが、下山する頃には嵐が近づいていました。30分後には嵐がやって来るため、急いで宿泊する予定の「花一旅館」にたどり着かねばなりません。しかし、「ひょうたん山」から「花一旅館」までの地図が6分割されてしまいました。
【Rule】
6分割された地図は各自に一枚ずつ渡されます。各々が自分の地図を他の人に見せることなく、お互いに口で説明しあい、みんなで一枚の地図を30分以内に完成させます。
※地図は誰が書いても良いが、自分の地図を説明するときには、自分で書いてはいけない。
【30分で成功した秘訣】
@正確に情報を伝える
A人の話をよく聞く
B協力しあってみんなで作業をする
・・・やっぱり日頃の「コミュニケーション力」(=チームワークかしら)の勝利ってとこですかね。
◆ 6/15/2001◆◆
■“ミスをしたら、いかにカバー”
いろいろ小さなミスをする。
このコラムも目を擦りながら書き上げて、よく見直さないで管理室に送ってしまうので、HP上で見ると、変なところに句読点、誤字、脱字が飛び込んで”ああっ”と反省。今も買ってきたばかりのトイレットペーパーをトイレの棚に収納していたら、便器の蓋を閉めないで作業したので一個手から滑っ て”ポトン”と水の中に落ちてしまった。手抜きをするからたまにはずれる。でもこのくらいは日常のスパイスで10秒くらいで気持ちは立ち直れるし、大事な事はすごく几帳面なはずだったのだが。しかし先週のミスは、かなりあせってしまった。
そのミスとは.......
8月に私のアルバムの発売記念ライブをやることになっている目黒のブルーズアリーの高橋さんから、写真を送ってほしいとの電話を頂いたとき、ライブの日が私が思っていた8/14でなくて8/21であることが発覚!一瞬”ウッソ!”と思ったのですが、決定事項が書いてあるノートを見ると8/21になっている。さあ大変。慌ててミュージシャンに確認すると幸いなことに、最後に加わっていただく事になったギターの山口さん意外は全員8/21にお願いしていた。まだ2ヶ月以上先の事でも、今から彼等を押さえるのは簡単なことではない。すこし胸をなでおろす。しかし其れより少し前にCD発売とライブの御案内の手紙を作製し、チラシと共に200通以上郵送する作業を終えたばかりである。それにはブルーズアリーは8/14と印刷した。御丁寧に、スケジュール、8/14の前売りチケットの案内、チラシにも8/14を強調した 。私はまずHPの管理者に電話をいれHP上のライブのお知らせに変更をいれてもらう。それと雑誌の、一番安い名刺大ではあるが広告の枠を買ってアルバムとライブのお知らせを載せた
原稿を出したばかりだ。慌てて雑誌社にも連絡、一社はすでに印刷所に行っているので無理なので来月号に訂正をいれていただくことになった。もう一社は間に合った。さて、送ったばかりの200何人の人達にはどう連絡しよう!連絡しないと突然8月14日、ブルーズアリー行く人いるかもしれない、と責任を感じる。とにかくメールできる人には、変更をお知らせしよう!と、あせったまま、何時間も何時間もパソコンに向かったのでした。あいにく私のマックは買い替えたばかりで、古いマックから移したメールソフトのリストは全部消えてしまい、またやりなおし......やることが山ほどあるのにと、気はあせるばかりで.......その晩寝る前に鏡をみたらげっそり、2キロくらいは減ったと、ふだんだったら喜ぶところでしたが。そして2ー3日してから、少し落ち着いてきたところで、ふと”そうだ、まだ2ヶ月以上あるのだから、連絡できない人には、しばらくして暑中見舞いにライブの変更を添えて”とアイディアが浮かんだ。そしたら、再びお便りを差し上げることができるし......。そうこれで私の、ミスはカバーできるといいのですが。
それにしてもなぜ私が、8月14日と思い込んでしまったのか自分でもミステリーなのです。
◆ 6/13/2001 ◆◆
■“ひょうたん山”
週に2日間市ヶ谷にあるヴォーカルスクールでも講師をしています。グループで2時間半のクラスなので、最初は、身体をほぐしたり呼吸練習をします。そんなイントロなのでみんが集まるまでの時間、慣れるまでは”みんな元気だった?”なんて声をかけましたが慣れると”先週ねえ......”とか、”バイトのお店が急に閉めることになって......”などと生徒の方からもいろんな話しをてくれる。先週は歯科衛生士をしているHさんが”先生、今日歯科医療関係者対象のセミナーがまたあってね、コミュニケーションが大事だということで「ひょうたん山」というゲームをやったんやけど、みんなうまく言葉で言えなくってすごく時間がかかってね......。”と話してくれた。私は面白そうなので”来週みんなでその「ひょうたん山」やってみない?Hさんリーダーやってくれる”と来週のレッスンに入れさせてもらうことにした。そして「ひょうたん山」からのリンクなのか、さっき新聞に目を通していたら”乗務員チームワークに新訓練”という見出しの記事が目に止まった。JALの客室乗務員の為の新訓練で「CRM」と呼ばれるそうだ。従来の訓練はミスを完全になくすのが目的だったが、完全になくすのは不可能なので”誰かがミスをしたら、仲間がカバーしよう”という訓練で、言葉によるコミュニケーションがいかに難しいかということ身をもって体験することにあるという。これも”ひょうたん山”みたいだな?と思い、私は”ミスをしたら、いかにカバー”と結んだ。なぜって?
◆ 6/11/2001 ◆◆
■Grazyna Augustick(グラジェーナ.アウグスチック)のこと
私にスウェーデンでのレコーディングを薦めてくれたGrazyna(グラジェーナ)彼女は、ポーランド出身、現在アメリカのシカゴ在住の才能のある素晴らしいヴォーカリストです。彼女とは、ボストンのバークリーの時に出会って以来の仲の良い友人です。彼女の歌はクリエイティヴでデリケート、スリリングでそしてとってもオリジナリティーのあるスキャットシンガーでもあります。現在彼女はシカゴを中心にヨーロッパなどでも活躍しています。先日、TokyoFMの悠雅彦さんの番組に私がゲストで招かれた時彼女の話しをしたり、アルバムを持っていって2曲かけてもらいました。チューナーがないと聴けないCS放送の番組ということです。詳しいことを確認しておきます。私のアルバムを扱って下さる代理店に、彼女のも扱っていただけないかお願いしたところ、”吉野さんのが、売れてきたらその後に”ということなので、まず私のをみなさんに応援していただかなければなりませんね。早く聴きたい方は、私が彼女から何枚か買ったのがありますのでお分けします。ボストンに住んでいたときは私も彼女も料理に興味が会ったので、招待しあってお互いの料理を楽しみました。クリスマスにはポーランド式のクリスマスに招待していただきました。そうだ、ベルリンの壁が壊されとき、グラジェーナのアパートで一緒にポーランド人の仲間とテレビを見ていたのですが、みんな食い入るように画面を見つめ、凄い緊張と興奮だったのを今でも鮮明に覚えています。そのグラジェーナとは、2年に一回くらい、私がシカゴに寄った時や、イヴェントで会う程度で、普段は電話かメールくらいです。”今年はギリシャのキプロス島で1ー2週間、来年は....で会おうね!.と、いきたいね”と4ー5年前から言っているのですが......なかなか実現はむずかしいようです。
★彼女のサイトです。http://www.gmasounds.com/
★私がゲスト出演したTOKYO FMの悠雅彦さんの番組の放送日は、
6/23(土)20:00〜22:00
6/24(日)12:00〜14:00
こちらはCSでの放送です。
6/26(火)0:00〜2:00(=月曜深夜24:00〜)
こちらはコミュニティFMでの放送です。
◆ 6/8/2001 ◆◆
■ナゼ?スェーデン録音
そうそう、今日はナゼ?スェーデン録音という事を書いてみようと思っていたのです。
それはバークリー時代からの親しい友人でシカゴ在住のVocalist であるGrazyna Augustick(グラジェーナ.アウグスチック)のすすめによるものです。アルバムのライナーノートにも書いたのですが、昨年のリサイタルの感触でひさしぶりにレコーディングをしたくなりました。しかし日本でのレコーディングは17年ぶりなので思うように事が運びません。そんな時、グラジィーナが、それならシカゴでやったら。私が美知子に合うミュージシャンを集めるからと言ってくれ、久しぶりに日本と思ったのですがアメリカの方が気が楽かな?なんて思い、すでにピアノでお願いしていた大徳さん以外はグラジェーナにお願いしてミュージシャンを集めてもらうことにしました。そして私は、大徳さんにシカゴで行うことをお伝へしてスケジュールを決めたりフライトチケットの予約をいれしました。しばらくして、ちょうどスウェーデンの友人のスタジオでレコーディングしていた彼女からミュージシャンも素晴らしく、静かで、ゆったりとしてい良い環境であり、美知子に合うのでスウェーデンにしないか?と連絡がはいりました。私は、シカゴでも、スウェーデンでも、貴方が良いと薦めてくれるのならとスウェーデンでやることにしました。旅好きの私でも憧れはあって、そしてなぜか自分の故郷とは言わなくても近いものを感じていた北欧を、訪れたことは一度もなかったのでレコーディングがますます楽しみになりました。
◆ 6/7/2001 ◆◆
■レコーディング.......
今回のアルバム"After A Long Spell Of Rainは、私の2ndアルバムですが、実は私個人のレコーディングは4回目になります。最初は17年前の1stアルバム"One Love Michiko" そしてその後ボストンで2回ほど録りました。ボストンでの最初録音したものを10年前帰国した時クラウンと言うレコ−ド会社に、送ったところ、出して下さるという話だったのですが、私の気持ちの準備が出来ていなかったのか、結局お断りして、何年かして再びボストンでレコーディング......それもそのままでした。周りの人の中には美知子さん、何してるんだろう?なんて思っていた人がいた様でしたが、ハイ、マイペースなんです。そして、今新しい、BlueVega(ブルーヴェガ)というレ−ヴェルも作りましたので、今作が落ち着いたら前のボストンでのレコーディングしたものもアルバムにしてみたいと思っています。いつかまだ分かりませんが楽しみにして
いて下さい。
◆ 5/29/2001 ◆◆
■レコーディング.......
新緑の美しい季節ですね。時間があったら、新緑を浴びに森にでも行きたいところですが、今年はまったく余裕がありません。そうです、今年は17年振りにアルバムを発表したのです。私にとっては、私の分身、babyのようなものです。そのMy babyをみなさんに聴いていただくために、1月のレコ−ディング後、2月早々からジャケットデザイン作りに入り,CDプレス会社にマスタ−を提出、著作権協会に書類を提出、3月にデザインを印刷屋に提出。校正が終わり4月8日に待望のCDが出来上がり、そしてチラシ作り、レコードショップに卸してくださるエージェントそして発売記念ライブのクラブを決め、みなさんにお知らせを、そしてとうとう6月1日に全国の大きなレコードショップでの取り扱い開始となります。 私の周りの友人やそのお友達の方などすでに買って下さった方、ありがとうございました、お気に召してい ただけましたでしょうか?何枚も出している訳ではないので、どれにしようかな?なんて選べないので、好みに合わなかった方はごめんなさい。衣食住からして人それぞれ好みがあるので......。長くなってしまいましたが、そんなわけで森には行けないのです。そのかわり私のテラスの緑達は美しく元気で、私を励ましてくれています。今年は全然かまってあげられないのに....私達の事は大丈夫だからがんばって!と言ってくれているように。アルバムは、スウェーデンでのレコーディングだったのですがなぜ?という質問を受けます。また、ジャケ ット作りの事や、スウェーデンの事などから気まぐれになりますが、少しづつこのコラムに書いていきたいと思います。 まだ生まれたばかりのこのホームページもアルバムと共によろしくお願いします。