◆12/7/2002◆◆
■大竹さんかっこいいです!
たまたまTVをつけた“我が心の旅”というBSの番組で画家大竹伸朗の思いでの地ロンドンをたずねていた。25年前に滞在して触発を受けた地をたずね、そして友人との再会と自分の作品を発表....だったけど、感動して涙が出た。何に?彼の瑞々しさに。まだ続いている彼の青春に。彼のアートすることの純粋な心に。既成の表現にとらわれずクリエイティブに生きる姿勢に。共感して感動し思わず涙が溢れた。こうい涙って幸せだ、こういう瞬間て。
アーティストでもいろんなタイプがある。職人的に技術だけにこだわるひと。モデルがあってそれをめざして模倣するひと、常に既成の表現を壊して次に進もうとする人などなど。みんな美を追求しているんだけど。優秀な人はいっぱいいるけど、私はクリエイティブな姿勢をもっているアーティストが特に好きだ。
日本はそういうアーティストにとっては、本当に難しいと思う。先日来日した友人のシンガーのグラジェーナはとてもクリエイティヴなシンガーだけど、興味をもたれたのは知っている曲を歌ったボサノバアルバムだけ。昨年私のアルバムを発表した時も個性的と評されたけど、その個性を貫くにはすごいエネルギ−が必要だ。音楽のようにアンサンブルの場合は、いい仲間を見つけないと既成概念にはめられそうになる。
>アーティストは自分にとっての美の追求、まず自分が気に入った事ができるように、常に自分を鍛え、わずかな光でも自分を信じ情熱を持ち続ける事の様な気がする。大竹さんかっこいいです!
◆11/30/2002◆◆
■遅寝、遅起き
私の苦手な事の一つに早起きがある。外国に出かける時など早い便の時は嫌なプレッシャーを感じる。
低血圧の上に、最近は起きた時に疲労感が残る。無理矢理ジムのクラスに飛び込んで行く日以外は、ボッーとしてスローだ。いい方を変えれば、朝はゆったりした時間が過ぎて行くんだけど。
一日の時間と共に変わっていく、自分自身の脳、身体も面白いなと思うけど。
今朝は9時頃電話で起こされる。用件が済んでもう一度ベッドに倒れたいと思ったけど我慢した。
明日は早起きしなければならない。朝10時からピットインでSPICE OF LIFE (私のスタジオの発表会ライブ)のリハーサルと本番が控えている。
それにしてもまた遅寝、遅起きの週間に戻ってしまった。大体朝方3時から4時頃寝て10時頃起きるのが長年の週間。しかし今年の5月にサイフをなくしたペナルティーとして早起きしてピアノ練習を始めものの、夏に今まで経験しなかった疲労感と腕の痛みに襲われピアノ練習が出来なくなってしった。夏ばて?と、諦めてスローペースに落として現在は回復したが、それと同時に早起きの週間も終わってしまった。
明日は、10時からSPICE OF LIFE の監督、厳しく冴えなくっちゃならない。ボッ−っとなんかしていられない。
さあ、今日はレッスンまであと2時間ある。ジムに行って久しぶりに、ひと泳ぎしてきます。何しろ体力、気力ですものね。
◆11/25/2002◆◆
■James Blood ulmer
久しぶりに吉祥寺のディスクユニオンに寄って中古とバーゲンのCDを何枚か買いました。その中の一枚は、昔NYに住んでいた時の友人James Blood ulmerの“Blues Experience”です。
このアルバムの事は、昨年、来日したギタリスト、ラッセル. マローンと歌う機会があった時に、
偶然Blood の話が出て、ラッセルが“彼の新しいアルバムはブル−スだよ!”って言っていたので聴いてみたいとおもっていました。
何年振りかなあ、彼の声、演奏を聴くのは。20年ぶりくらいかもしれない。歌い方といったらよいのか、口跡がちょっと以前と変わったと思います。歌い方の癖がなくなって。悪い意味じゃなくて好い感じ!前の癖があった方が、好きな人 もいるかもしれないけど。いつか会ったら彼に聞いてみたい“私は、こう感じたのでですが、それはなぜ?って”
でも昔と変わらないアナ−キ−なサウンドは健在、今回のアルバムはブルースであって普通のブルースじゃない。まさに彼の世界です。昨年スウェ−デンに行った時も、今年の夏NYに行った時も、ライブハウスのスケデュールに彼のライブの告知を見ました。あいにく私のスケデュ−ルが合わず聴けなかったけど、Bloodは、ますます健在で進化してるようです。
◆11/14/2002◆◆
■燃えるような紅葉がみたいけど....
友人のサイトで、美しい紅葉の写真を眺めていたら紅葉が見たくなった、それも,燃えるようなあざやかなのを。
去年も今年も、紅葉を眺めに行っていない。
目を閉じたら昔見た紅葉の光景が拡がって来た。
友人と歩いた上高地、小淵沢........
私の出身の群馬の紅葉も素晴らしかった。
生まれ育った沼田は盆地で、谷川岳、赤城山、子持山が見え、四季折々の姿を見せてくれたけど、とくに秋は美しかった。
ボストンの郊外のニュ−トンという町に住んでいた時の紅葉も素晴らしかった。
ニュ−トンは自然がゆたかな住宅地だった。通りや家々は木々に囲まれて、秋の紅葉は、ゴージャスだった。木の葉の絨毯の上を歩いたり、きれいな葉っぱを拾い集めたりした。
アメリカの東海岸のニュ−ヨ−クからカナダ近くまではニューイングランドと呼ばれ、紅葉はとくに美しい。
“ウウッ紅葉が見たい”
きょう、生徒のYさんがレッスン室から見える“スノウホワイト”という小さな木を指して、“葉が紅葉してる、ホッとしていいですねえ”って。“あっ、ほんとうだ!紅葉してる”って、わたし。
そういえば、近所のイチョウ並木も少し黄色が濃くなって来た。
じゃ、明日は井の野頭公園でも自転車で一走りです。
◆10/28/2002◆◆
■グラジェーナにはミューズの女神が微笑んでいる
ヴォーカリストで親しい友人のグラジェーナが昨夜来日し、今日最初のライブが神田のTUCでありました。
とても美しい音楽の、至福のライブでした。
彼女の声は天使のように美しく、共演のポリ−ニョとのヴォーカルデュオはゴージャスで、私の言葉ではうまく言えないほど、うっとりでした。
昔のコラムに書いたかもしれませんが、彼女とはボストンのバークリー在学中からの仲の良い友人です。そして昨年発表した私のアルバム“AFTER A LONG SPELL OF RAIN”のスウェーデンのレコーディングのサポートをしてくれました。そして今回は、私の彼女への恩返しで来日が決まりました。だから私にとっても、とてもうれしい来日公演です。
友人だから大袈裟に言うのではないですが、本当に素晴らしいヴォーカリストです。
まあ、私の好みですが、素晴らしい耳と声、イントネ−ション(音程)感性をもっています。
音楽をやっていたら誰でもミュ−ズの女神に微笑んでほしいと思うでしょうが、彼女は、ミューズの女神が微笑んでいる世界でも数少ないヴォーカリストのような気がします。
来月の10日は、富士通コンコルドジャズフェスティヴァルに出演します。
みなさん是非彼女の声を聴いて下さい。
◆10/18/2002◆◆
■戸棚の中にも3年
久しぶりに“やったあ!”です。何の事?いえ本当に個人的な事でたいした事ではないんです。ほんとうに、ほんとうに個人的な事で.......。
コ−ヒ−カップにはまって取れなかったお茶わんがとれたんです!それだけです。
だからたいした事ないって言ったでしょう。
3年くらい前、マグカップに友人から贈られた手びねりの湯のみ茶わんが入ったら取れなくなってしまった。洗剤につけても、たたいても、ひっぱってもだめ。訪れる友人に助けをもとめても、鉢かつぎ姫(そんな昔のお話しらないかな?)のように抜けなかった。しかたなく、しばしほっといて戸棚の奥にしまっておきました。
先週、陶芸家の友人の個展に行って、ぐいのみを一つ買って来ました。
別に日本酒党でもないけど、ぐい飲みは小さくかわいいし手ごろな値段なので、つい手がでてしまいます。それに気にいったぐい飲みには、作り手のお酒に対する愛情も感じるので。(お酒を飲めない陶芸家は?飲めないけど、おいしく飲んでほしいという愛情ですね)そんなわけで、友人のぐい飲みを眺めていたら、ふと戸棚の奥に置いておいたマグカップと湯のみ茶わんの事を思い出しました。その時、直感で外れるような気がしました。そしてすぐ戸棚の奥から、カップルになってるカップをとりだして、なぜかカーブしているグレープフルーツナイフを隙間に差し込んだ。ほんの10秒くらいナイフを動かしたらパカッ!と取れた。えっ?えっ?えっ?........
閃きですかね?!科学者とか散歩している時“とつぜん閃いた”とかいいますよね。
私のは、今まで思いつかなかった、グレ−プフル−ツナイフを使うという指令が突然来て、お茶碗がはずれただけなんですが。解決に3年かかりました。うれしいですよ!友人からのプレゼントで気にいってたので。
はい、ただそれだけのことです。
だから、たいした事じゃないっていったでしょう!でも私にとっては“やったあ!”です。
■Pit Inn Live:みなさまありがとうございました!
ピットインのライブが終わってあっという間に1週間たってしまいました。
HPのトラブルでみなさんへのお礼とご報告が遅れました。
みなさまありがとうございました。
おいでになれなかったみなさん、またの機会に聴いていただけたらうれしいです。
今回は、ベーシスト、ドラマーが変わってハーモニカが入りました。ベ−ス武田桂二さん、
ドラムスは初共演の平井景さん、ハーモニカも初共演の松本敏明さん、そしてピアノは
いつもの大徳俊幸さん。みんなハッピーで素晴らしい演奏をしてくれて、楽しかったですよ。
ハーモニカとの共演は初めてで、曲そして私の声とどんな色合いになるのだろうか?オリジ
ナルのエレジーにきっと合うんじゃないかなあ?とか、いろんな思いがあって楽しみでした。
その思いの通り、面白いハ−モニーでした。
そして、あの小さな楽器であれだけの表現が出来るのも面白いですね。そして久し振りの共演
だったベ−スの武田桂二さん、彼の自然体で優しく、でもしっかりした人柄がそのままベース
の音になってるんだなあ!やっぱり、音、表情もすべて、その人なんだなあ!なんて、思った
のでした。初共演のドラムスの平井景さんもそう、華麗で、表現力豊かで、大阪出身だから?
か、ちゃめっけがあって、素晴らしかった。そしてピアノは大徳さん。バンドの土台をしっか
り支え、そしてますます華麗に舞ってくれています。
私は毎回毎回このために生きているんだというくらい楽しみます。 そして一番幸せな時です。
いつもミスがいっぱいあるんだけど、次は、次はという気持ちです。この気持ちとみなさんのサ
ポートが私の原動力です。 これからもっともっといいライブをやりますので、みなさんよろしくお
ねがいします。そうそう次回は、ピアノの大徳さんからギターの小畑和彦さんに変わり、先日
のメンバーでジョビンなどのブラジル音楽を中心にやります。
みなさん、お楽しみに!そして、そのときもよろしく!
Thanks! Michiko Yoshino
◆9/30/2002◆◆ふとTVをつけたら、司馬遼太郎の写真が画面いっぱいに写っていて、 “.....司馬は.一書生と して、一自由人として....”という ナレーションが流れていた。 司馬 を敬愛していたという同じく作家の田辺聖子からの手紙の朗読のようだったけど。 “一書生として、一自由人として.... ”うん、いいなあ〜そのフレーズ!と、感じ入った。 私も、音楽をやってる者として、後輩の指導?をしているけど、気持ちはみんなと一緒に学ん でいるつもりだ。 一応先生と呼ばれるけど、えらい先生になんかなりたくない。みんなのチアリーダーだと思っ ている。 そしてもちろん“自由人でありたい”とも.... “ガテン!”
◆9/17/2002◆◆■”It don't mean a thing if it ain't got that 愛”
昨年,私のアルバムのジャケット作りをしていた時、一緒にデザインをやってくれた弟子の美樹ちゃんが、あるアルバムを手にとって”先生、このデザイナーは愛情がないですよね!アーティストがかわいそう!”と。私も”ほーんと、そうだね!”と。
先日、最近お会いして、今月から私のアルバムを扱って下さる事になった吉祥寺のディスクショーワの松崎さんのお店で、あるアルバムを聴いていたら”このレコーディングエンジニアは、愛情がないですねえ”と、 松崎さん。彼は、オーディオの専門家ですが、特にそういう事が解ってしまう人なのです。
デューク.エリントンの作ったジャズの名曲”It don'tmean a thing if it ain't got that swing”(スウィングしなきゃ意味がない)もちろん納得!
そして”It don'tmean a thing if it ain't got that 愛”は
もちろん大納得!!!!
■” Gospelpart 2”
前回のコラムを読んで下さった方から ”黒人ばかりの中で「紅一点」ならぬ「黄一点」だったのでは?”という、感想をいただきました。
そうです、黒人の中にクリスチャンでもない日本人の私が一人混ざっていました。
私は、同じような考え方や神経をもっている人であれば、もちろんどこの国の人でも割と自然に仲間になります。
しかしこの教会のグループの中では、すこしバリアを感じました。
みんな親切でしたが、お互いにすこし違和感を感じていました。
歌っている人は、その教会に通っているクリスチャンで、私は日本人で信者でもなかったのですから無理もありません。日本人も珍しかったでしょうし、私は彼等と同じ神を信じていなかったのですから。
だからと言ってそのために、その気もないのに入信するわけにはいきません。
せめてもと、毎週に日曜日の礼拝に彼等の事、キリスト教を学ぶために参加しました。
ある日の練習の時リーダーが”私達はただ音楽やコンサートの為に歌っているのではなくジーザスの為に歌っているのだから...”という話をされました。
私は、”やはり私の事を言っているのかな?”と気が重くなり、
”ちょっと、お話させていただきますか?”と、リーダーに許可をいただき、
”私は、みなさんが御存知のように日本人で、アメリカに音楽の勉強にきました。学校を卒業したので、グレンの紹介でこの教会のコーラスに入れていただき歌える事をとてもうれしく思います。アメリカに住む事、またこうやってみなさんと一緒に歌える事もすべて、私にとっては、音楽だけでなくアメリカの文化を学ぶ上でとても勉強になり感謝しています。しかし、私はみなさんのようにクリスチャンではありません、その私が、ここで歌っていてもいいのでしょうか?”と、尋ねました。
リーダーは突然の私の問いかけにびっくりしたようですが”いいですよ、ミチコの事を言ったんじゃないんです”と、言ってくれました。
そして休憩の時、何人かの人が近付いてきてくれ”もちろんよ!ミチコ”と、励ましてくれました。そんなことがありました。
マーティールーサーキングの式典にクワイアーで参加した時は、小学生達のスピーチでの黒人差別の現状をたくさん知らされ、アメリカの野蛮な部分を実感しました。
クワイアーリーダーのワイフが亡くなってセレモニーに参加させていただき、クリスチャンは神のところに召されるということで、日本の御葬式のようにメソメソしないのを知りました。
彼等の家に招待されると、お料理は大抵ヴォリューム、カロリーたっぷりで、大きな身体の秘密もしりました。
そのMytel Beptist Churchのchoir(コーラス)には帰国するまでの2年半くらい歌わせていただいたことは素晴らしい体験でとても感謝しています。
いつかまた礼拝に伺って、みんなと再会のhug(抱擁)をいっぱいしたいです。
■” Gospel”
私は、ボストンでバークリー音大を卒業した後、少し郊外のNewtonという町の教会Mytel Baptist Churchのchoir(コーラス)に参加してGospelも歌っていました。
Gospel はJazzのルーツでもあり、また独特の魅力があるので惹かれ、同じアパートの友人が教会のchoir(コーラス)に、はいっていたので、紹介していただき入れていただきました。
私以外は全員熱心なクリスチャンでアフリカ系アメリカ人の本物の教会のゴスペルグループでした。毎週火曜日の練習日と日曜日の礼拝日その他にTV出演やコンサートもありました。
日曜日の礼拝日には、牧師さんの説教に一生懸命耳を傾けましたが、訛りのある英語と、キリスト教の事もよくわからないので私にはとても難しかった。
ただ、歌うのは楽しかったです。
特に精神的に苦しい時、歌いに行くと、ほんとに癒されました。
もともと Gospelは、アメリカに奴隷として連れてこられたアフリカ人が、自分達の苦しみを、神への祈りを歌ったニグロスピリチュアルが、教会でジャズやロックの影響を受けてアレンジされたりコーラスになったもので、賛美歌ですから、メロディーはシンプルで感情がスーッと出しやすく、私も歌うとキリスト教の信者でもないのに癒されました。
Gospelの人気の秘密の一つは、やはり癒しかもしれません。
何故こんな話をしたかというと、今日、採譜したGospelの曲を何十回も歌っていたら、気持ちが少し癒されてきました。
以下の曲です。いつかお聴かせしましょうね!というか、一緒にうたいましょう!
♪WINGS OF A DOVE♪
IF I HAD THE WINGS OF A DOVE
WINGS THAT WOULD TAKE ME WHERE I WANNA GO,
I'D FLY FROM THE UTMOST WAY OUT INTO SAPCE
NO,NO,NO..
THERE IS NO HIDING PLACE
■”リンガフォンPart 2
先日そのリンガフォンに一緒に勤めていたHさんから突然メ−ルをいただきました。
私のアルバムをたまたま雑誌で見て知り、もしやとアルバムを買ってくださって、私のHPを知って、プロフィールを見てリンガフォンに勤めていたとうい事を知って”確かだ!”と思ってメールを下さいました。
Hさんとは、池袋西武の語学コーナーで一緒に働いていたのですが、彼もジャズが好きで、アニタ. オデイのテープをいただいたりしました。
先日のピットインのライブにきて下さって、うれしかったです。
昨年のサバスのライブの時は、お茶の水丸善時代の友人達が、子供を連れてきてくれました。ほんとにうん十年ぶりでした。うれしかったです。
彼等はみんな立派に子供を育てていて叉は育て上げて、これからは自分の人生を楽しもうと言う姿勢が素敵でした。
私は私の生徒をどれだけ育てられるかな?自分をどれだけ育てられるかな?という段階ですが、それはそれでやりがいがあります。
■”リンガフォン”
学校で週一回教えているのですが、生徒は二十代の女性がメインで、必ず
”先生、何時から英語しゃべれたんですか?”と言う質問を受けます。
私は、アメリカにも住んで居たので英語で話す事は出来ますが、もちろんネイティブスピーカーではありませんし、音楽がメインなので、通訳になりたいと思った事もありません。私にとって言葉は”toolくらいに思っていますし、だから、いっぱい間違えますし、解らなかったら聞きますし、正式なな英文を作らなければならない時は、ネイティブにチェックをお願いします。
しかし日本語よりボキャブラリーも少ないし、下手なのに、英語で話した方が言いたい事が楽に言えたり、気分もいい事が往々にあります。
高校を卒業して上京。最初はアルバイトで1年お金をためて大学の2部に行こうと思っていましたが、いつもジャズのレコードを聴いたり口ずさんでいる私をみて、ある日、ボーイフレンドが、”みっちゃんジャズをやったら!”と言いました。
そんなアドヴァイスで、軽い気持ちで、ジャズ雑誌に広告が載っていたアンジャズスクールと言うのを見つけて入りました。(後にアンで講師をしましたが、経営者は代わっていました)
レッスンに通い出したら面白くなってこの道に進もうかな?と、思い、大学に進学は止めて、歌をやる事にしました。
やる事が決まって、月謝などお金がかかるので、アルバイトより会社に勤めたほうが収入も安定するので、”リンガフォン”という、外国語の出版社の試験を受けました。
その会社は”隔週5日制、英語の学習の機会あり”というので”ちょうどいいや”と思いました。”リンガフォン”はいわゆる外資系の会社で、大体その頃、親元通勤、短大卒以上という感じなのに、”やってみなさい!”と、私を雇ってくれました。その会社に尚美を卒業して、NYに行くまでの5年間勤めました。
内容は、書店やデパートの語学コーナーで”リンガフォン”の教材を説明、販売する仕事でした。その頃36カ国語あり、5カ国語くらいの簡単な挨拶くらいは大体言えました。今は全部忘れましたが。
教材はアメリカンイングリッシュがメインで、英語のデモテープを毎日かけていました。私は何の新鮮さも感じず毎日聞き流し、時々英語のテープを聴いているふりしてジャズのテ−プを聴いていたりしました。
いちばん長く勤めたのがお茶の水の丸善(後に通学した尚美学園は水道橋だったのでたすかりました)新宿紀伊国屋、東京駅の大丸、そして池袋西武にも派遣されました。
今思うと、惰性でも、毎日同じデモテープでもリンガフォンを聴いていたおかげで、
耳も鍛えられ、随分英語の勉強になったように思います。そしてお給料で、尚美の学費もNYの渡航費も賄えました
。
◆4/6/2002 ◆◆■”Thank you everybody!!”
私のバースデーの4月3日、ピットイン六本木ライブが終わりました。
聴きに来て下さった方、ほんとうにありがとうございました。
今回お出でになれなかった方へ、いいライブだった事を御報告します。
楽しかった!
今回は、数日前は咽がいまいちだったのですが、当日は平常にもどりました。
さすがピットイン、音響が最高によかったのでとても歌いやすかった。
それに、メンバーのプレイが素晴らしかった!
みんな最高のプレイをして下さいました。
すごくうれしかった!
ピアノの大徳さん、ドラムスの久米さん、ベースのクレッグさん、チェロの吉川さんそして、聴きに来て下さってアンコールで一緒にブルースを吹いてくれた友人のトランペットのマイク. プライスさんありがとうございました!それとサプライズだったハッピバースデーは涙が出そうでした。
今までで最高のステージだったように思う。
でも、いつもいい時はそう思うんだけど ...
よくなかった時は、最悪と思い復帰までに時間がかかりますが、今回は大丈夫。
レコ−ディングした曲も慣れてきた。
MDで録音したのを聴きました。自分で言うのはなんですがライブ盤にしてもいい感じです。
次はもっとよくなる!
頑張ります!みなさん乞う御期待!
”MINNA ARIGATO" Love Michiko
■”4/3ピットイン六本木ライブよろしく!”
いよいよ明日バ−スデ−ライブです。
いつもライブの前は緊張します。
明日は前回のリサイタルのスペシャルゲストだったジャズチェロの巨匠、吉川さんに加わっていただいてのクウィンテットのライブで、おもしろくなりそうです。
吉川さんは、ここ数年とてもクリエイティブで意欲的な演奏活動をなさっています。そして前回初参加のエレキベースの達人グレッグ.リーさんと、ブラジル音楽というより私には無国籍ののクリエイターという感じのドラムスアンドパーカッションの久米さん、オリオン星人のピアニスト大徳さんとヴェガの私(織女星じゃなくって歌女星なので琴座を引っ越そうかな?)です。
きっと楽しい面白いサウンドになりそうと、私もとても楽しみです。
桜は終りに近いけど、みなさん六本木にぜひお出かけ下さい。
ステキな夜になると思います。みなさんよろしく!
◆3/30/2002 ◆◆
■”外れ者”
3/22のコラム”自慢”で”外れ者の私”と言う表現をしたところ”外れ者って、どういう意味ですか?”という質問を受けました。
これは”イミシン”で、使った私には理由がありました。
私は子供のいる普通の家庭を営んでいる方からみたら”外れ者”なのですが、思いきり好きに生きているので外れているからと自分で残念に思ったことはありません。
が、10年ちょっと前、私が離婚をする事になり、兄の一人の家に挨拶に行った時、純粋な日本男児の甥のR君から、”美知子ちゃん離婚はよくないよ!”と、とても残念がられました。
まだ二十歳前の彼にとっては、ショックで、残念なのと、離婚は少し恥ずかしいという感じ方があったようで私は”若いのに古いなあ”と思ったのですが”R君にとてもショックを与えてしまった”という思いがずっとありました。
そんな心の傷がある私に、1人の甥は(5人も甥がいます、全員可愛いですが)”僕の自慢のおばちゃん...."と、私をガールフレンドに紹介してくれたので、心の中では自慢”しちゃういます。
私自身は”人に迷惑をかけなければ、一度の人生思いっきり生きなくっちゃ!”と言う生き方なので、”外れは当たり前”なのですが、R君にショックを与えてしまったという思いが時々顔を出して”外れ者”なんていう表現をしてしまったのです。
そんな訳で、”家族にとっては外れ者の私”が正解でした。
R君ですか?一本気で古風なところがあってユーモアがあって真面目ですよ。彼はそんな事とっくに忘れていると思います。今は小学生の男の子一人の父親です。
■大西美代子ナイトー”カジュアルの美”
今日は友人のバンジョ−プレイヤ−大西美代子さんのバンドのライブを聴きに浅草のハブへ行きました。
ハッピーなデキシーランドジャズと彼女の関西仕込み(というより生まれつき?)の、笑わせ、のせまくるトークと浅草という下町で庶民的で粋な雰囲気とがうまく溶け合って、お店中に活気があふれ、私の言葉でいうと”カジュアルな美”満ちていました。お客さんは、みんな恵比寿顔。観客は、5ー60代の男性が半分以上しめて、手拍子やニューオリンズでやるように、傘を持って踊りだしたりすごくうれしそう。夕飯を終えた御主人達が”ちょっと行ってくるよ!”と、寄席に行くようにデキシーを聴きに来てるのかなあ?さすが浅草、粋だなあ、なんて思いました。
大西さんと最初会ったのは20年以上前、高田の馬場のピザハウス.シェーキーズででした。
私がホテルニューオータニで歌っていた頃、友人のデキシージャイブのベーシスト菊ちゃん(菊池一成さん)が私を”トランペット(TP)の鈴木さんに会わせたい”と、誘ってくれ、鈴木さんの仕事場だったシェーキーズに行きました。
そのバンドメンバーだった大西さんとピアニストの大橋高志君(私の方が少しお姉さんなので、私は大橋君とずっと呼んでます。今日3年ぶりに再会)は、神戸で鈴木さんに出会い、3人で東京に出てきてシェーキーズで演奏していたところでした。
そのリーダーのTPの鈴木さんは、ハートがあって、ジャズが大好きで、世話好きな親分肌でみんなに慕われていました。早稲田大のデキシーランドジャズのメンバーや、仕事のオフの若いミュ−ジシャンが連日遊びに(この”遊び”はバンド用語で、よそのバンドの演奏に加わらせてもらうこと)にやって来て、ステ−ジ前にたむろして、お互いの演奏を聴きあう素晴らしい場でした。メンバーの大西さんも、大橋君もその鈴木さんの精神をうけて、連日やって来るみんなを暖かく迎えてくれました。
今思うと、それはちょっとしたスクールのようなもので、私も仕事のない日は連日行って歌わせてもらったり、鈴木さんから、”明日までにこの曲覚えて来なさい”と、5曲くらい宿題をもらったりして必死で覚えたりしました。
その、TPの鈴木さんは、現在行方不明なのですが、大西さんも大橋くんも菊ちゃんもめったに会わないけど、今も変わらず友達。今みんな油がのり始めてばんばん音楽楽しんでます。
今日、聴きに行った私を大西さんがステージに誘ってくれたので、2曲うたいました。
私は、自分のライブ以外はシャイで緊張して突然誘われても気がのらないのでごねるのですが、スクールメートだった彼等とはいつでも気楽にハッピーな気持ちでセッション出来ます。
スズキメソードの効果かもしれません。
それにしても、鈴木さんどこにいるのかなあ?
◆3/22/2002 ◆◆■”尊敬してます”
『日本では、”言葉で言うな!という社会じゃないですか?例えば、上司に”尊敬してます”なんていうと、”そんなこと口でいうな!”という、』と、ある脚本家の日本語に関するTV討論会での発言の一部です。
ふと ”やはり日本はそうなんだ!でも、そんな風に否定したら、こんなコラムなんて成り立たないよね”と、思った。
私が教えている学校でも、クラスがスタートしたばかりの時は”誰か歌いたい人、手を上げて、ボランティアは?”って聞いても、下を向いたり隣の人と顔を見合わせたりで周りを気にして誰も声も手もあげません。(でも私のクラスは1ヶ月もすると変わっていきますがー私の”自慢”その2)
日本では、腹芸とか、接待で話が決まるとか、曖昧な表現で解ってもらう場合があります。いい意味では、たとえば羽織の裏のとっておきの柄を、チラッと見えた人だけに気付いてもらうとか(この場合自己満足で気付いてもらわなくてもいいのかもしれない)、美しい月を直接眺めないで、お酒の入った盃に写った月を眺めて楽しむとかは風情があって、すごくカッコイイ文化だと思うのです。しかしコミュニケーションにおいて、現在のように色んな国の人が混在している国際社会では、文化、習慣、環境など違うので、はっきり伝えないと理解出来ないし誤解を招くこともあると思います。
私は、ボストンの音楽の大学ではパフォ−マンスメ−ジャ−(科)でした。ここでの”パフォーマンス”とは人の前で音楽を演奏したり、踊ったり、演じたりと、芸をさしますが、もう一方では、御存知のようにもっと広い意味があり、あらゆる表現、そして人とのコミュニケーションまでをいい、私は広い意味での”パフォーマンス”にも、ずっと興味を持って来ました。
これも”パフォ−マンス学”という学問になっていて、日本では実践女子大の佐藤綾子先生が第一人者で沢山本を書いていらっしゃいます。 E.Tホールという人の説では(佐藤さんの本から得た知識ですが)日本は高状況文化(High context culture)で多民族でないのでイエス、ノーをはっきりさせなくても状況が判断してくれ、暗示表現や、非言語表現が優先する社会ということです。そのため相手に期待し、うまく答えてもらわないと、いらいらしたりがっかりしたりもします。地域、国でいえば、日本、中国、韓国などアジアの国々がそれにあたるそうです。イタリア、南米もこちらのような気がします。
それに対して、低状況文化(Low context culture )では、状況があまりものを言わないので、大部分の情報が明確な形の言葉など記号によって伝達される文化で、他民族国家であるアメリカ、社会保障や環境、政治形態など進んでいるスウェーデンなどがあるスカンジナビアそしてドイツなどをさすそうです。 そして、国際人としては、高状況文化や非言語表現をすて、フェアで正々堂々とパフォーマンスをする事だということです。
私自身は、ほんとに美しいと思うと”きれい!、美しい!”(ナンパしたりしませんが)と言いたい方で、日本には、はまらなくて結構、気を使うところがあります。だからたまに日本を離れないとだめです。日本を飛び立つ時にまず開放感を味わい、飛行機がエアポートに到着して、荷物をとって空港ビルを一歩出ると、もう人格がかわります(?)気楽にタクシーの運転手さんと冗談いったり(相手もそうなので)もっと伸び伸びコミュニケ−ションができリラックスできます。
”尊敬してます”って、もし私が言われたら? ウーム”ニコ”と笑って、”Thank you ! ! ! ARIGATOU”と、照れるけど言うと思います。”そんなこと口でいうな!”なんて決して言いません。だって、うれしいですから。お世事はいりませんけど。
■”自慢”
先日、このHPの管理をしてくれているXさんとWEB.デザインを専門にしている友人Aさんに来ていただき、会食件HPのミ−ティングをしました。
その時、Aさんは自分が担当した自動車会社のサイトを見せてくださいました。それは単に”きれい”とか、”カッコイイ”だけじゃなくて、現代のハイテックを駆使した工夫にみちたプロのデザインで、それを見せていただいて、私も、管理者のXさんも”ワー、すごい!さすが、プロ!”の連発でした。
そしたら、まだまだ若いAさんは”僕の自慢ばかりして.......”.と恐縮しました。
私は”そんな事ないよ、私達にすごい勉強になって、うれしいよね!”とXさんと顔を見合わました。
”自慢”というのは、謙虚じゃない自意識過剰の人がすると嫌らしいけど、真面目にやっている人が、自分の作品を見せたりするのは、その人の素晴らしい行為、成果を他の人とシェアする(分ちあう)素晴らしいポジティブな行為で、自慢をされた方は、知らない世界を垣間見る予期せぬ楽しい瞬間だと思います。
ただ、人間いろんなタイプや好みがありますから、反応は”素晴らしい!や、勉強になりました、元気がでました、や、ありがとう”ばかりでなく、”好きじゃない”や、”no ,thank you!"ととられる場合もあると思います。
でも、”僕の自慢ばっかして.....”と、いうセンシビリティを持っているAさんは、私にとって自慢をしてほしい人です。
自慢も”人による”といのが、私の傲慢な”説”です。
みなさん、真面目に”自慢”いっぱいしてください。
私は、そんな自慢に出会うのを楽しみにしています。
私の自慢ですか?
私の甥が高校生の時、この外れ者の私を”僕の自慢のおばちゃんです!”と、ガ−ルフレンドに、私を紹介してくれた事、彼の言葉は私の心に残る、大きな自慢の一つです。
◆3/14/2002 ◆◆
■St. Merry Hospital part 2
前回のコラム”St. Merry Hospital”を読んで下さった方から、”ロサンゼルス市って粋ですね”という、感想をいただきました。
その方のお嬢さんが赤ちゃんのとき”脳の検査をしたら2,000ドル請求されました。”とのこと。
私も、ボストンでの学生時代に練習室のドアに指を挟み、タクシーですぐ病院に行ったところ、消毒して化膿止めの抗生物質をもらっただけで100ドルくらい請求された覚えがあります。
そういえばTMJ(顎関節症)になった時は、3,000ドル位かかったのですが、保険に入っていたので出費は免れました。
この保険も歯の治療には無効な上に高いので帰国するまで待ちました。
そうアメリカは医療費が高いので有名です。
フルタイムで学校に勤めていた友人も”ここの学校は保険などが付いているからいいんだ”と言っていました。
ヒラリーさんが大統領夫人だった時に、保険制度の改革をやっていた記憶がありますが、 少しは改革されたんでしょうか。
外国に行く時は、最近はクレジットカードに保険も付いているので、私は特に入らないのですが、入ってない場合、St. Merry Hospitalの件のように無料なんてことはあまりないので、みなさん気をつけて下さいね。
なんて、人の心配をして私の方が気をつけなくっちゃです。
私はたいした事なく、救急車で運ばれると言う体験に興味を持っちゃって、深刻ではなかったので冗談ぽく話したのですが、生徒達は”先生こうやって無事でいてよかったよ!”とか”先生英語しゃべれるからいいけど、私だったら何にも言えなくてパニックになってたかも”とか、結構真面目に受け取ったりしていました。
でも、私も頭を打った瞬間こんな風に思いましたよ。
”こういう事も有るのだから、突然いなくなった場合の後始末位は考えとかないと”って。
友人のこんな感想もありましたよ。
”美知子さんセキュリティが来た時、服着てたのかしら?”って。
御想像におまかせします
◆3/11/2002 ◆◆
■St. Merry Hospital
11時過ぎに帰宅して、鈴木宗雄議員の証人喚問のニュースを見ていたら、
うまく逃げているだけでちっとも真実味がせまって来ない。
退屈なのでチャンネルを変えたたらERという救急病院のドラマをやっていた。
ふと、1月に起きた私の貴重な体験を思い出した。
例年参加するジャズエヂュケイションのコンベンションのために朝LAに到着。
機内で眠らなかったのでホテルに着くなり夕方のコンサートまでベッドに潜った。
夕方、起き上がって目を醒まそうとボーッとシャワーに向かって蛇口をまわした。そのとき突然冷水がかかったショックでよろけ、滑って後ろに倒れトイレに頭をぶつけてしまった。
”イッター!!”とかなりの痛みと、転んだショックで目が醒めた。
”気をつけなきゃ”と思いながら痛む後頭部に手をあてたら、血が”べトッ”と付いて今度は”ヤバッ”と思った。
どのくらい切れているのか自分ではわからないので、見てもらおうとルームサービスに電話をしたら、すぐセキュリティと共に部屋に来てくれた。
セキュリティは、傷を見て”縫わなきゃならない”と。
そして生年月日、名前、住所を聞かれた。
"顔も蒼いので、病院に行くために救急車を呼ぶけど、どう思うか?”と聞かれ、
私は”行かなきゃならないのならお願いします”と答えた。
"ST.Merry Hospital"に連れていくと言う。
痛みと、ショックはあったのですが、”ワー、救急車!乗るの初めてだ”と、初めての体験にちょっとワクワクした。それに"ST.Merry Hospital"という名前が、なんとなくかわいくて愛着を感じ始めていた。
そう、私自身は全然冷静で、このめったにない出来事を内心楽しんでいる?自分がいた。
間もなく、救急隊員がやって来て脈を調べたり、同じような質問をして携帯電話で連絡をとり、私を担架に乗せホテルの廊下から従業員用のエレヴェーターを使って下に待っていた救急車に運んだ。
救急車に寝たまま移されて、15分位のドライブで病院に着き車椅子に移され病院内に運ばれた。
暫くして問診から始まり、待ち合い室に移された。
待ち合い室には、熱を突然だしたであろうと推測される子供を抱えた夫婦、血の滲んだ布をまいている40代位の男の人、10代から60代くらいの突然やって来たと言う感じの人でいっぱいだったので、ここは救急専門のところと察した。
40分位待ってやっと私の番が来た。女の先生が私の髪をかき分けて、液体酸素?みたいなスプレーを吹き付けて消毒して乾かし、麻酔の注射をして、糸で縫いはじめた。20分位かかった。
終わると、タクシ−ドライバーに渡すようにと無料のタクシーのク−ポンを渡されホテルに戻った。
さっきお世話をしてくれたセキュリティに帰った事を連絡すると、すぐ出て来てくれ、簡単の書類に記入するようにいわれた。そして”何かあったら遠慮なく声をかけて下さいね”と親切な方だった。私は”お支払いは?どうなっているんでしょうか?”と尋ねると。
”いらない”と。私は”誰が払ったんですか?”と
”誰も、払っていないですよ!多分ロスアンジェルスが”
その晩は、翌日に備えておとなしく部屋のTVでグラミ−賞をながめました。翌日?元気でしたよ!
◆3/4/2002 ◆◆■”七十、八十はまだひよっこ”
一昨日の夜は来日中のヴォーカルのジョーリー.ウイルソンを聴きに行きました。
彼はパリ在住のアフリカ系アメリカ人でふくよかなバリトンからバスの美声で力強い唄を聴かせてくれました。
彼のアルバムは20年以上前に手にしたので、60歳くらいかな?なんて推測したけど、昔から変わらず音楽は意欲的、そしてお洒落なスーツに身を包み、髪にはインディアンがするようなへアバンドをしてオシャレで若々しいので、もっと若いのかな?なんて思ったら現在66歳とのこと。
昨年暮れにピットインで26年ぶりに聴いたヴォーカリストのシーラ. ジョーダンはは72歳でバリバリ。一月にロスで再会したジェイ.クレイトンは、もう一度刺激のあるNYで仕事をしたいと、20年間居を構えていたシアトルから今年NYに移るとのこと、現在60歳。
ひらぶちでんちゅう(正しい漢字を忘れたのでごめんなさい)でしたっけ、”七十、八十はまだひよっこ”って。
みんな素晴らしい、元気がでちゃうな。
私なんてまだ卵の殻の中ですかね?
■”篤史くん-I'm gonna miss you!"
一月の最後の木曜日だったと思う。ヴォーカルレッスンが終わったEさんに、4時半にやってくる篤史君のことを話していた。
そこへ”ピンポーン”私は”How are you?"と入り口に迎えに行くと、今日はお母さんと二人で入口に立っている。なんか嫌な予感がし”もしや”と不安が襲った。
以前、篤史くんが”僕のうちは、転勤族”なんて言っていたのを思い出した。
”実は主人が北九州市に転勤になって.....、篤史一人の為にありがとうございました。篤史も今日は様子が変なんですよ!”と、お母さん。やはり私の不安は適中した。
”ああ、先生寂しいなあ、泣いちゃう!”と、涙がでてきて、一緒に迎えに出たEさんに寄り添ってしまった。
その日のレッスンは、私も篤史君もお互いに目を合わせられなかった。
そして今週が最後のレッスンだった。そして篤史くんのお別れ会と登緒子ちゃんの高校の合格祝いとを兼ねたパーティーをした。
パーティーで、篤史くんのお母さんは、”この子は凄く人見知りする子なんです、だから先生といつも何を話していたのかな?って不思議だったんですよ!”って。
”ほんとー、あっちゃん人見知り?”そんな事、思った事もなかったので意外だった。
”きゅうりにお味噌つけて食べたいって言うので、そんな風に家で食べさせた事なんかなかったので聞いたら先生のところで食べて美味しかったからって”
そうだね、そんなこともあったね、って、目を見合わせた。
そして、パーティーのメインディッシュは?
もちろん篤史君のfavorite food ”curry"でした。
”あっちゃん、I'm gonna miss you!"
■”篤史くん”
滞米計画を中止して帰国、今度は三鷹の南口から北口の武蔵野市に3年半近く前に住み始めた。また1からのスタートだった。
もちろん、自宅でのレッスンスタジオは再開したが、ピアノがおける建物は頑丈なので家賃が高い。そんな折、新聞で”自宅で英語を教えませんか?”という広告を見つけた。”週一日くらいだっら、やってみようかな”と、試験をうけてやる事にした。
英語を子供達に教え始めてまもなく、建物の上の階に住んでいる人から”子供の出入りはうるさくなるし、ここは居住マンションなのでまずい!”という、ヒステリックな苦情が届いた。不動産屋はかまわないというが、めんどくさいので止めよう思ったが、通い始めた5人の子供達に悪い。もう生徒は増やさない事にして、子供達には静かに出入りするようにお願いした。
一年したら3人の女の子は、私立中学に受験するので塾にかわると退めた。
中学生になった友人の娘の登緒子ちゃんは、中学生なので別のレッスン時間。
小学生で一人残った篤史君に”どうする?”とたずねたらら”ぼくは続けたい!”って。
そして今まで続けて来た。
雨の日も風の日も雪の日も休まず毎週毎週木曜日4時半、ピンポーン”Hello!"とやってきた。
一人のなので、英語だけでは集中力がもたないので、前半の時間はいろんな事をして遊んだ。
ベランダの植物を観察したり、育ったきゅうりもイチゴも一緒に食べた。
私が、リサイクルで手に入れた、リヴィングテーブルにサンドペーパーをかけていたら、篤史くんもやってみたいと、一緒に一年間かけて少しづつサンドペーパーで塗料をおとし、ダインニングテーブルと同じ色のニスを塗って組み立てなおし完成させた。
いろんな事をした。コンガも基本パターンはたたけるようになった。
少年野球に入っているので、ダーツの矢は恐いほどなスピードで放つ。
コンピューターのキーボードもほとんどゲームでブライドタッチをマスターした。
篤史くんにWhat is your favorite food ?とたずねると I like curryと答える。
■”日本に足が”
ボストンから帰って約6年後、4年くらい前に、再びアメリカに住むつもりで、仕事も退め、住んでいたところもかたずけた。が,突然その計画が暗礁に乗り上げた。
住居は解約して住むところもなくなってしまったので、取りあえず渡米してヴィザのいらない3ヶ月間滞在して、暗礁に乗り上げた原因を知りたいと思った。
滞在した甲斐があって原因を突き止めた。その結果、アメリカに住む計画は止めて,再び日本でやってみようと思い帰国した。
今年でボストンから帰って10年たった。
4年くらい前までは、年に数回は渡米したりして、日本に足がついていなかったような気がする。
その渡米計画中止後2年して暗礁のショックから立ち直ったあと、作ったのが私の2ndアルバム"After a long spell of rain"です。
今は、地に足がついている気がする。この東京に。
そして、いいライブをしたいと思う。
■”自立したかった”
前のコラムで”男女の差別を少し感じた”と書いたけど、誤解しやすい書き方でした。いまより”女の子は...とか、男の子は...”という時代でした、が。
実際小さい時、女の子だからといって、兄達からいじめられた記憶はありません。
のびのび育ったと思う。
ただ、私は末っ子だからなのか、性格なのか、
高校卒業したら、自立したいと思った。
何をやりたいか、わからなかった。決められなかった。
国境のない広い世界で仕事をしたいと思った。
”ジャーナリストもいいなあ”なんてちょっと憧れたりもした。
まず東京に行きたいと思った。
自分で働いたお金で自由に人生をやってみたいと思った。
学校も自分のお金で、行きたいと思った。
自由に憧れた。
そして、東京に来た。
何になりたいか、わからなかったけど、これから始まる未知の人生にワクワクしていた。世界を、動き回るためには、まず英語をやろうと思った。
◆2/23/2002 ◆◆
■”競走は嫌い”
スポ−ツは、大好きで小学校の時は体育の先生になりたい、と思った記憶もある。
でも体育の先生はやれたとしても、オリンピックを見ていて、スポーツの競技者には向かないとつくづく思う。”勝った、負けた、どっちが上、速い、うまい、強い、きれい”などの 必死の競争なのだ。
私は人と競走したり比べるのは好きじゃない。
よく同じ仕事で、ライバル意識を燃やす人がいるけど、私は、その人が素敵だったら、素直にそう思うので、意識じゃなくてその人と友達やファンになる。
好意的な意識のされかたじゃなかったら、精神衛生上よくないので、そういう人とは関わらないようにしている。
幸いステキな友人達に恵まれている。周りの人も大体、さっぱりした”体育会系”だ。
本当は”体育会系”ってどう言う系統を言うのか、良く分ってないのですが。
(知ってる人教えて下さい)
私は兄3人の末の妹。姉も妹もいないのでくらべられる事もなかったからか、人と競う意識がない。人をうらやましいともほとんど思わない。
ただ末っ子で女の子一人で可愛がられる代りに、女の子だからという、男女の差別は少し感じ、そういう差別も好きじゃない。平等が好き。
だからなのか、生まれつきなのか、あんまり女ぽくない。女ぽいという基準もよく解りませんが。
私は、自分がなりたい自分になるように生きている。
音楽も、自分が美しい、かっこいいと思える、自分が喜べる音楽をやっていきたい。そしてもっと自由になりたい。稚拙でも未熟でもそれが自分なのだからしょうがない。
そのために情熱は傾けたい。
スポーツでなくてアートを選んで良かったと思う。
私には競争は出来ないし、嫌いだ。
生徒にも私は言います。”人と比べちゃだめだよ!みんな違うんだから、だからおもしろいんだから、自分を磨いていけばいいんだから!って........
◆2/22/2002 ◆◆
■”清水、荻原”
楽しみにしていたオリンピックもそろそろ終りに近付いてきた。
TVや新聞に釘付けと言うわけでもないけど、一流の選手の競技は、ドラマチックで見ていておもしろい。
私は、スケートの清水とスキ−複合の荻原に感心があった。
清水も荻原も調子が前回のようではないので、その彼等が臨む試合のライブそしてその後の表情(心理)に興味があった。もちろんいい出来にこした事はないけど。
荻原は、団体で92、94のオリンピックで金をとった時は、若く、まだ挫折知らずのコメントが調子にのっていて軽く、少し気になった。
その後、長野での力走の果てに欲しかったメダルを逃し、またその後のWカップでの不調の中での挫折とたゆまぬチャレンジは彼を人間的に大きくさせたようで、顔もコメントも成長してステキだ。
また清水は、なんて強いんだろう、カッコいいんだろうと思う。そして優しいんだろうと思う。
スポ−ツはいいなあ!と、また思う。
◆2/15/2002 ◆◆
■”Blues Alley Live 2/13/2002”みなさんありがとう!
2/13に、Blues Alley でのライブが終わりました。
おいでいただきましたみなさま、本当にありがとうございました。
いつもライブの終わった後の数日間は、”ボーーッ”として気がぬけて”つかいもの”にならない状態です。
でも、来て下さったみなさんへのお礼と、いらっしゃれなかった方への御報告もしたいので、うまくまとまるかわかりませんが.......
今回は、久しぶりに基本的にはピアノトリオ+ヴォーカルとシンプルな編成,しかしベースは、エレクトリックベースのグレッグ. リーさんそして、ゲストにシルヴィオのヴォーカル+ギターに加わっていただいての構成。
今回のBlues Alley では、ボサノヴァなどのブラジル系の音楽をやってみたいと思いました。そして先日のX'mas Live のプロデュースをして下さったブラジリアンミュ−ジシャン.シルヴィオを今度は私のライブに御招きしたいと思いました。
そしてやはり、ジャズも歌いたいしオリジナルもやりたいので....というプログラムでした。
たくさんのお客さま,そしてお店もスタッフも暖かい雰囲気のなか、心配していた風邪も、咽の痛みは残っていましたが、声の調子は戻って、私も1ヶ月半振りのライブをお大いに楽しみました。
当日簡単なリハをしましたが、本番はまた全然違ったりして本当にスリリングでした。
スリルは好きなので、おもしろかったです。これで、もっと回数をやったら鍛えられるのですがね。
昨日、今日とライブの録音を聴きました。
自分自身はいつも反省いっぱいです!聴きながら耳押さえたり、叫んだり’ん... もう!”です。
良い出来もありました。私のオリジナルElegy -Ray Of Moon"は、いままでで一番いいできでしたが、他の曲は荒いところもいっぱい!もっと練習しなくッちゃ!と、それに、新しいポルトガル語のボサノバは、次回はもっとしなやかに歌いたいし........
ライブの後はこんな反省ばかりです。
前回のX’masLiveは、めずらしく、うまく歌えて終わった後すごくハッピーでした。
曲も楽な曲が多かったので。
まだ私はボッーとしているのですが、早くも、みなさんからライブの感想やら、エールをいただき、とても嬉しいです。
いつも聴きに来て下さる友人達、生徒達、ファンの方達、初めての聴きに来て下さる方達、そして久しぶり再会できた友人達、遠くからわざわざ泊りがけで来て下さったり、いつも本当に感謝、感謝です。いつも最高の観客に恵まれて私は幸せなひとです!
Thank you . I love you all !!!!!Love Michiko Yoshino
◆2/11/2002 ◆◆
■「命がけ」part-2
ソルトレークオリンピックが始まり、選手の熱戦、熱演が続いています。
なぜか前回のコラム”命がけ”という言葉の響きが頭をよぎり、うろうろしています。
「命がけ」という言葉の響きは、やはり私には生々しすぎて落ち着きません。
今戦っているオリンピック選手達は、もちろん努力ができる才能や才能(天才と言わなくても並外れた能力)や、集中力やイマジネーションそして運や、いろんな条件を克服した人達でしょうが、なぜか昔の、マラソンの円谷選手(東京オリンピックで銅メダルをとってその後自殺)のような、古さは感じず、よく言われている”自分の為にやっている”感じがして、見ていて爽快です。もちろん並外れた忍耐はあたりまえでしょうが。壮行会での小泉首相のスピーチは、御本人ク−ルそうに見えても結構センチメンタルなんですね。そう言えば感情的な発言や行動もありますね。
朝日舞台芸術賞の贈呈式でも、例えばバレリーナの森下洋子さんとか板東玉三郎さんだったら "踊りに生涯を捧げた”とか”美の追求”とか”自分の美の表現に...”とか、うまく言えないのですが、コラムを書いた人も、違う表現をしたような気がします。がやはり受賞者が前衛舞踊の大野一雄さんと伊藤キムでしたら、表現のスタイルがコラミストに、そう言わせたのかも知れません。
しかし表現者としてはクールなスタイルの私も、新聞のスポ−ツ面や社会面の”アフガン復興への道”なんて見出しをチラッと見ただけでジワッと来てしまいます。
年のせいかな?いいえ、小さい時からこんな感じでした......。
だいぶ落ち着きましたので、ライブの準備にもどります!
お騒がせしました!そうです、毎日”じたばた”なんです。
◆2/3/2002 ◆◆
■「命がけ」
昨日のニュースでソルトレークに行くオリンピック選手の壮行会での小泉首相の挨拶が映っていました。はっきり言葉を覚えていないけど”みなさんの命がけでやっている姿がみんなに感動を与えるのですから.....”のようなあいさつだったと思う。
また1ー2日前の、朝日新聞の天声人語は、”朝日舞台芸術賞の贈呈式後のパーティーでのシーンで、.....受賞者の大野一雄さんと伊藤キムさんとの踊りは、大野さんから伊藤さんに何かが手渡された、そんな感じの感動が走った、「肉体のリレー」と言う事を考えさせら.....そして演出家の栗山民也さんはJ.L.ゴダール監督の「映画史」に出てくる言葉「命がけの美」について語った。「命がけの美」に身体を張っている人たちとの感動的一夜だった”とのコラムでした。
「命がけ」という言葉の響きは生々しすぎて、私にはちょっと違和感がありますが、すごい事で、その事には憧れ”死ぬ覚悟”でやればもっと身がはいる、といつも心だけは反省する。その「命がけ」ができる、素晴らしいスポーツマン、アーティストは本当に多くの感動を私に与えてくれます。自分もアートの端っこにいる気持ちはあっても日々”じたばた”して終わってしまうのが現実です。あらゆるジャンルで一生懸命誇りをもって一流の仕事をする人は、才能だけじゃない、その人の半端じゃない「命がけ」の姿勢も私達にたくさんの感動をあたえてくれる。こういう感動が私の大事な栄養であり教師でもあるのですから、いつも刺激を受けられ栄養を吸収出来るように生きていないとね。